小樽が観光街に生まれ変わった事は知っていて、
何度も来ているのだけれど、
実際にその街を、ひとり歩いて観察することなど無かったので、
やはり、頭の中には20年以上も前の「小樽」が生きていて、
その、いまは昔の姿を追い求めるほどに、
いつの間にか、自分も歳を取ってしまった事を確認するわけで、
訪れた人は、街が繁栄しようが、衰退しようが、
それぞれの、訪れたときの停止した「時」を抱えていて、
懐かしいいっぽうで、また変貌した姿に戸惑い、
まるで昔馴染みを訪ねるように、過去の幻影を追い求めている。
「変わるものと」「変わらないもの」と、或は「伝えるもの」と。
街には、それぞれの要素が大切なのだろうけど・・・、
観光で賑わう「小樽」には、
観光客相手の店が目に付いて、
そこで暮す人々の、暮らしの風景はひっそりと背景に遠ざかる。
観光のゾーンは、くらしの視点からみれば、
それは非日常のものであって、
まるで、夜店の賑わいのようなものだ。
それが一過性のものなのかどうか、
「観光地」というのは、
大なり小なり、みなこういうパターンになっている訳で、
考えたらなんとも不思議な空間だ。
#■HOKKAIDO