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理想のBARとは?  それは可能か?  番外編




前回第2回は、予想以上に波紋を広げてしまった感のある、このシリーズ。

理由がなくても見栄だけでも飲んでいた時代から、特別な理由があるとか相当の酒好きでないと、気軽にはBARに足が向かないこの時代。

少しでもウイスキーの良さに気づいてもらえたら、もっと日本人は心を病まずに済むのに。いつもそう思います。

格式とか内装とか店の歴史とか、そういうものに酔うのではなくて、あくまでも酒に酔う。これがモルトバーの醍醐味。

今回は私がウイスキーにはまったきっかけをお話します。

うちの親族はお酒の卸売業を営んでいます。酒屋さんというよりは酒屋さんに卸す業種です。

お盆や正月におばあちゃんのうちへ行くと、応接間に洋酒を飾っている棚がありました。ほとんどはブランデーでした。

見事に彫刻された陶器のデキャンタや、スプリングバンクにもあったブック型の入れ物などを見て、中身はどんなんだろうと思ったものでした。

高校ぐらいになると、おじさんは「ウチは酒屋じゃけえの、酒だけはあるけぇ 大人になったら酒を飲みに来い」といってくれました。

その甲斐もあったのか、元々なのか将来的にしっかり飲めるよう、仙台での大学時代は自分であれこれ試すようになりました。主に家飲みです。1990年代前
半のことですね。
内容はあちこちのビールから始まり、火入れしない日本酒にはしばらくはまっていました。でもこれらは翌日に響くし、酔い方があんまり気分のいいものではな
くなってきました。
実はこの時にシーバスリーガルとバランタインの1番廉価なボトルを購入し、飲んで見ました。

正直めちゃくちゃ不味かった。化粧品のような香りで、化粧の濃い人と電車で乗り合わせたみたいな感じでした。

そこであるときから他の洋酒にはまります。大型のリカーショップ(酒のやまや:宮城県が起源)でベルモットやジン、ラム、ウォッカを買ってみました。
特にウォッカを通常のジュース類と混ぜたりして飲むようになりました。これもいまいち面倒くさいし、炭酸は大瓶だとすぐ抜けてしまって原チャリのヘルメッ
ト入れにウィルキンソンの緑の小瓶を10本ぐらいつめて往復していました。

軽音部でしたので外で飲む機会も結構ありました。ただ、バブル期に勢いで作ったような、安そうなダイニングバーみたいなところで食事兼飲みでしたので、そ
こで働いてるあんちゃんも自分と同じぐらいの年齢で、薬学部でしたからステアだって、なんじゃその攪拌はぐらいなものでした。テキトーだなーって。

あるとき稼いだお金があり、飛び込みで洋酒に強そうなバーに入ってみました。今もやっているでしょうから名前は言えないんですが、店の名前は入ったときは
もちろん意味はわかりませんが、ストレートで飲めという意味のお店でした。そこで化粧くさくないウイスキーをほしいといったかどうか、シングルモルトを知
ることになります。マッカランとアードベッグを飲んだのを覚えていますが、お会計が当時の僕としては結構辛かった。おまけに何日かたって酒屋に行くと飲ん
だのと同じボトルがあり、たいした値段ではなかったのです。マッカランは18年でアードベッグは1976だったと思います。どちらも6,7千円ぐらい。も
ちろん買ってみました。特にマッカランはめちゃくちゃ美味しかった。現在も基準としているOBの12年43度もよく買うようになります。。

ところが私がバーで支払った金額の意味がぜんぜんわかりません。とにもかくにも当時のバーはバブル時代の残骸を残していて、客は大していないけど、入った
は最後みたいなところが仙台には多かったですね。

そこで私の育った神戸に戻る機会があり、震災後ではありましたが、三宮のバーに行ってみました。相当貴重なボトルが割れてしまったんだと聞きながら、その
なかで生き残ったという60年代のマッカラン、相当古そうだったバランタイン、そしてポートワイン(テイラーだったか)を飲ませてもらいました。他にカク
テルも飲ませてもらったのですが、5杯で1万円でおつりが来ました。

なんじゃこりゃでした。仙台でその倍は払ったのです。

その後は仙台の酒屋さんに逆に聞いたりして、評判のよいバーに行くことにしました。自分でNBAの仙台支部長のお店に行き、だいぶ御高齢でしたが、戦後の
バー文化、とくに横浜のことをおききして、ジンアンドビターズ作ってもらって、それはそれはキつかったです。ジンのストレートでは飽き足らない人が飲むん
だとか、昔は酒の質が悪い代わりに刺激性は強かった。だからよく出たんだよと。実は仙台にも結構な名店があることも知りました。

ただいかんともしがたいのが県民性の差、仙台のバーテンダーさんはお話し上手というよりは奥手で寡黙な方が多く、なんともこちらとしても聞きづらいので
す。
それにウイスキーが開栓されてから相当時間がたっており、丸くなったボトルにも結構出会いました。

ですので、自分にとって大事な店(これからも通いたいと思ったとか名店とか)とは別に、パブリックな店探しを始めます。

ところがこれが別な意味で大正解でした。

バブル期の禍根を残さず、シングルモルトに自らはまっているバーテンダーさんのお店が続々見つかったのです。どこから引っ張ってきたのかオールドボトルも
次々に開けて、こういうのは飲まずにわかるわけないんだよ。ぐらいなものでした。ケイデンの黒ダンピーなんかは本当感動しました。しばらくはボトラーズ
ロードを疾走しました。

考えてみると幸せな時代でした、次から次へ60年代の長熟がリリースされたのです。トールのケイデングリーン、ダグラスレイン、キングスバリー、同社のケ
ルティック、そしてピアレスです。ブラックボウモアにもよく出会いました。

気づいたときにはもうすっかりはまってしまっていました。

酒や物を飲むため買うため、ハードに働いて、独立し、より東京に近くなりました。今度は東京のバー周りをはじめます。

そして現在に至るわけですが、やっぱり自分にはパッブリックで、貴重だろうがなんだろうが飲みたい人がいるときが、飲み頃という感覚が必要なようです。

飲みたいお酒が出てきて、妥当な金額で、パブリックである。そこで飲むお酒が1番楽しいなと。

#理想のBAR

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