「錆びた釘」
随分長いことシャワーに打たれていたようだ。時間は朝10時
バスタオルで豪快に髪の毛を乾かし、妙にお腹が空いていることに気づき、冷凍庫に常備しているうどんを取り出した。冷凍庫には財布が入っていた。
携帯を見ると、何も音沙汰はない。
恋人としての使命が私にはあったが、それ以前に社会人としての使命を果たすべく、私は仕事の準備をした。しかかって、今日が休みだと気づく。
「神様・・」
なんという間のよさであろう、と思い、神の名を呼んだ。
ということは、私は明日には社会的責務を再び果たそうとしだすことを暗示している。 明日も果たさないつもりだとしたら、この間のよさには何一つ意味がないからだ。
しかし、そもそも昨夜これだけ飲みすぎたのはあらかじめ今日が休みであるということをどこかで認識していたからである。
だとすれば、神様は実は何もしてくれていない。 神よ、貴方に感謝した数秒を返せ。 などと考える私は、昨夜共有するはずだった時間を一人で過ごした事になったあの時間を返せなどと恋人に言ってしまいそうで云々。ここではそう関係ない。
明日気持ちよく仕事に行くには、なんとかして恋人と連絡を取ることが重要だ。
私は昨日から打って変わって、積極的になった。ここがBarでなく、自宅だからだ。しかし状況はなにひとつ変っていないのである。
一応、個人としての責任を果たすべく、私は本屋に行く支度をした。なんのことはない、ただ漫画を買うだけである。
予報どおりの雨。道中、あーだこーだと、恋人に会う為の作戦を練っていたが、これと言った案がなく、ファミリーレストランでランチを済ませ、帰宅した。
自宅のTVの上に携帯電話があり、近代社会が生んだ、最高の通信手段をいざ最も大事な人を探そうとしているこの状況において、数時間に渡り放置するという愚行を行った自分を恥じた。
新着メールが一件と表示されている。
「新米と漬物を送ります 母」
という内容だった。色々と思うところがあるタイミングではあったが・・とその時、再びメールを受信した。
「昨日はごめん。今日、会えるかな?」
という内容だった。
「心配したよ。話はあとで聞く。昨日のBarで待ってます。」
という内容のメールをすぐさま返信した。
Barにはまたも私が先に着いた。当たり前だ。約束の時間の1時間も前に来たのだから。
Mr.ボンバーは今日も本を読んでいる。まだ来たばかりなのか、ビールだ。
10分程して、扉が開いた。
昨日と同じ理由で、振り向かず背中で気配を探る。探り終える前に気配は私の隣に腰掛けた。
「昨日はごめんなさい」
社会人である私には十分過ぎるほど簡潔な言葉だったが、よく、意味がわからなかった。
振り向くと、手には包帯が巻かれていた。
「どうしたの?」
これも最も簡潔な言葉のひとつである。”なぜ、昨日来なかったの”とも”その怪我、どうしたの”とも取れる。どちらしても、包帯を巻くことになってしまった経緯が両方の解答になるであろう。
「ちょっと・・」
これは簡潔でない。
「ちょっと・・なに?」
簡潔だ。
「怪我しちゃって・・」
「見ればわかる。」
・・・
・・・・
「転んだだけ・・・」
「・・・」
私は決して簡潔さを求めているわけではない。事実が知りたいだけなのである。その事がわからないような人間ではないし、渋るということは何かしら言いづらいことがあるのだろう。どちらにしても、ここは酒場だ。まずは酒を。
今日はシャンパン、という感じではなかった。
「グラスワインを2つ。」
「いいえ、私はラスティネイルが飲みたいです。」
・・・ラスティネイル?昨日飲んだカクテルだ。ここはタリスカーがベースだったな。
「いいね。ごめんなさい、やっぱり私にもラスティネイルを・・」
昨日同様、手早くタリスカーとドランブイをグラスにそそ・・(あ、少し零した)ぎ、2人の前に並んだ。
「ここはタリスカーがベースなんだ・・」
ここのスタッフゥは耳にタコが出来るほどにこのフレーズを聞いたことだろう。
グラスを傾け、沈黙。Mr.ボンバーは本の内容が面白かったのか、ふふっと笑った。グラッパを飲んでいる。
「ラスティネイルって、どんな意味か知ってる?」
問われた。
確か・・・錆びた釘。
「私たちの関係は、これでいいのかな。いいえ、悪いことはないんだけど。私たちはいつも気を張って、気を使って、相手の事を信頼しすぎて・・・」
ドキッとした
「何がいいたい?」
なるべく柔らかく言った。
沈黙
・・・
「ラスティネイル、もう一杯ずつお願いします」
沈黙を破った言葉はこれだった。
・・・
少し、二ガ甘く感じた。
「この怪我、ただ転んだだけ。ほんとに。」
なんと間の悪い怪我だと思いながら話の続きを聞いた。
「錆びた釘。だなんて、例えが良くなかったね。」
「でも、思うんだ。私たちは少し距離を置いた方がいいんじゃなイカナッテ。」
「ソッチノホウガ、オタガイノタメニモ・・」
「・・・・・・・・」
途中から何を言ってるかわからなくなった。原因は?いや、理由は?錆びた?錆びてないじゃないか。いや、それは例えが悪かったと否定している。
「わかった」
精一杯搾り出した言葉がこれだった。人間、こういう時は絶望なまでに簡潔だ。
・・・
「もう一杯だけ飲んで帰ろうか」
もう、言われるがままだ。
恋人との最後に相応しいものなんて頼む気力はもはや無かった。そもそも、隣に座っている人物は、今現在において恋人なのだろうか?線引きも曖昧だ。
「あちらさんに、タリスカーと、ドランブイを」
なにか声が聞こえた。聞きなれない声だ。
スタッフゥは何かを察したように、ショットグラスに2つの酒を注いだ。
そして、私たちの目の前に差し出した。
「俺のおごりだよ。」
聞きなれない声はMr.ボンバリズムだった。
この深刻な状況に、「わ~ありがとうございますっ!」などと言えるはずもなく、ただ頭を下げ、貰った。
ボンバリズムは、また本を読んでいる。
本を読みながらぶつくさと言った。
「おっかしいよなぁ~、ウイスキーとドランブイで”錆びた釘”なんて」
「???」「???」
「”生命の水”と”満足すべき飲み物”だろう?錆びねーよそんなの」
それ以上、言葉は必要なかった。というよりも、言葉は、存在しなかった。
ちらっと隣の席を見ると、涙を浮かべ、申し訳なさそうな顔をしている、私にとって最も曖昧な存在。
「とても美味しい。タリスカーも、ドランブイも・・ラスティネイルも・・」
「もしかしたら、私たちも1個人と1個人でなく、2人でひとつの、カクテルのような存在になれるかな。それとも、本当に”錆びた釘”になっちゃうかな・・」
「・・・それは、わからないね。でも、陳腐な言い回しになるけど、やってみなきゃ、始まらない、かな。」
「・・・」
「あさって、診察に行くんだけど、一緒に来てくれる?」
「子供じゃないんだから、でも、行くよ。」
「来週は、本屋に行きたいんだけど、付き合ってくれる?」
「今日行ったところだけど、来週も行きたいな」
「今日が昨日でもいい?」
「都合が良すぎるけど、過去のことだしいいんじゃないかな」
と言って恋人同士は笑った。
爆発頭は、寝ていた。
「距離を置くんじゃなくて、距離を縮めよう。これから、少しずつ・・。」
2人は無言で頷く。
「じゃあ最後はせっかくだからボトルシャンパンを開けようか。そうだね、ヴーヴ・クリコがいいかな。」
「いいね、でも早速”未亡人”は嫌だよ。レコルタン・マニュピュランで選んで貰おう。」
ポンッ!!
シャンパンを開ける音が・・・店内に響き渡った
その音で、ボンバー紳士は、ビクっとした。
FIN
#ゲスト・ノベリスト DEKACHO