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ダブルマチュワード-Port9

第五章 Last Order ラスト・オーダー

1

ブルー・ムーンを飲み干すと、彼がマスターに目配せをした。
何か打ち合わせでもしていたのだろうか、まるでダイヤモンドみたいな『フレンチ75』が
2つのシャンパングラスに生まれた。コリンズでないところがとてもお洒落だ。

二人で過ごした1度目のクリスマスに、彼がこう言っていたのを思い出した。
「ダイヤモンド・フィズっていう別名もあるんだって。これ。」
あの頃は、もうそれだけでワクワクしていたけど、今の私にはその煌きが切ない。
乾杯をして、ごく薄いクリスタルに口をつけた。

「結婚しようか。」

リフレインの中で、彼の言葉を現実のものとして受け止めようとした。
それだけで精一杯で、返す言葉が見つからなかった。
しばらく間をおいて、何もなかったみたいにして、私はロンドンに行く話をした。
彼はかなり驚いている様子で、珍しく狼狽していた。

それからしばらくは、何故ロンドンなのか、何故この時期なのか、何故行きたいのか
闇雲に一人で話し続けた。今の状況を話してからじゃないと、結婚のことは考えられない。
私にとっても、彼にとっても大切なことだと思ったから。
彼はその間、たぶん20分くらい、ずっと黙って私の話を聞いていた。

ロンドンに行くことを理解してくれるとも思ったし、賛成してくれると思っていた。
不安だったのはむしろ、あまりに簡単に「行っておいでよ。」と言われること。
1年も離れるなんて寂しい・・・と思ってくれないこと。

反応は予想とは逆のものだった。
フレンチ75にはもう、ダイヤモンドの輝きが失われていた。

バーは金曜日の賑わいに華やいでいる。
二人の間には沈黙とキャメルの煙しか無かった。

2

「話はわかったよ。」

「わかったって、何が?」

「さやかは行きたいんだよな。それで、どうする?」

「どうするって・・・。」

転びそうになると、いつもその前に助けてくれた。
道に迷ったら、さりげなく方向を示してくれた。
優しくて、穏やかで、温かくて、大きかった彼はここにはいない。

心のどこかで、

「1年なんて、あっという間だよ。さやかが帰ってくるまで待ってるからさ、
結婚の返事はそれからでもいいし、でも今、婚約っていう形になれば、
それが一番だけどね。」

そう、言ってほしい気持ちが生まれていた。

それからまた、別のところで、

「1年がんばってくるから、まーくん浮気しないで待っててよ。
1年後に成田まで、ティファニーのダイヤリング持って迎えに来てくれたら
結婚、考えてあげてもいいよ。」

と、無邪気に言えない自分が歯がゆくもあった。

「結婚はできない、ロンドンに行くから、それを伝えて別れ話でもするつもりだったのか。」

その彼の、思いもかけないセンテンスにより、
私は初めて、涙を伴わない深い深い哀しみという感情があることを知った。
と同時に、今までどれだけ彼に甘えてきたか、わがままを言ってきたかが思い起こされ
申し訳ない気持ちにもなった。
5つも年上で、責任のある仕事を任されて、誰からも好かれる彼を、尊敬すらしていた。
そのことが、もしかしたら彼に無理をさせていたのかもしれない。

私は、もうすぐ4年になる彼とのつきあいの中で、今ほど彼を近くに感じたことはなかった。
すぐにそれを伝えることができない。あまりの哀しみと後悔に途方に暮れるしかなかった。

彼は黙って席を立ち、会計を済ませて「エンドスケープ」を後にした。

スクリーンには、エンドロールが流れていた。

―『My Funny Valentine』

私は最後まで、彼にとっての「かわいい彼女」にはなれなかった。

#PINOKO

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