最終章 Double Matured ダブルマチュワード
彼のいない右側には、かすかな香水の残り香だけが漂っていた。
マスターが、吸いかけのキャメルの置かれたバカラのアシュトレイを静かに下げた。
私は、おそらく捨て猫みたいな目をして、お水を出してくれたマスターを見上げた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです。」
「さやかさん、このウイスキー、ご存知ですか?」
「見たことあります。たまに、彼が飲んでたやつですよね。」
「そうです。バルヴェニーという蒸留所の12年、ダブルウッドです。」
「ダブルウッド・・・。」
「ダブルマチュワードとも言います。これは、シェリーの樽で熟成させた後、
ポートの樽で仕上げてあるんです。」
「2種類の樽で・・・。」
「そうです。使う樽の個性が活かされて、様々な味わいのウイスキーが産まれます。
このバルヴェニー12年は、シェリーとポートの個性が溶け合い、絶妙のバランスで
活かされている、素晴らしいウイスキーだと思います。
樽のチョイスや熟成の期間、恋や結婚に通じるものがあるような気がするんです。」
「ウイスキーのことは・・・よくわかりません・・・。」
「竹原さん、この1杯にとても思い入れがあるようにお見受けしましたよ。
今夜も、大切に、飲んでいらっしゃいました。」
「もう、遅いです。」
「まだ、間に合いますよ。」
マスターはそう言って、まるで子供に贈るプレゼントみたいに
コートとマフラーを差し出した。
<完>
#PINOKO