第三章 Third Order サード・オーダー
待ち合わせまで、まだ少しある。
「甘口のポートをお願いできますか?」
遠藤さんは、にっこりと微笑んで、細く長い脚が色っぽいリーデルで出してくれた。
「グラハムのトゥニー・ポートです。そのフォワグラのソース、ポートを使ってるって
わかられたんですね。さすがです。」
「え、そうなんですね。偶然かも。」
なんとなく、フォワグラにはシャンパンか甘口のお酒というセオリーが身についていた。
この3年と9ヶ月の月日の中で、彼にはいろいろなことを教わった。
「フォワグラ自体もポートに漬け込んでありますので、とてもよく合うと思いますよ。」
彼女の親切な補足に続けて、今夜このバーで初めて会話らしい会話をしていた。
店内が賑やかになって少しだけ音も上がり、話をしやすくなっていたのもある。
一言だけ会話を交わした男性にも待ち人が到着して、仕事の話に熱中しているようだし、
反対側に座っているカップルは二人だけの世界にいたので都合がよかった。
「遠藤さんって、私と同い年くらいでしたよね。」
「そうですね。さやかさんの方がきっとお若く見えると思いますけど。」
「唐突ですけど・・・、今、恋、してますか?」
「そうですねぇ、今のところ、お酒・・・にですね。」
「お仕事、お好きなんですね。見ていても、そんな感じがします。素敵ですね。」
「今はこれだけで精一杯なのかもしれません。でも、いい人がいたらすぐにでも・・・。」
私たちは目くばせして静かに笑う。
「・・・私ね、4月からロンドンに行くかもしれないんです。おととい、上司に言われて。
まだ正式には返事してないんです。実は、なんとなくの流れで申請してただけなので。」
「すごいじゃないですか。海外勤務、それもロンドンなんて。」
「そんなかっこいいものじゃないんですよ。入社5年目のブラッシュアップのための研修制度
みたいなのがあって。でもまさか、私が?って感じなんです。英会話だけはがんばってて、
社内のTOEICスコアが、この1年で急に伸びたので、それでかなぁ・・・。」
「でも、チャンスですね。いろんな経験もできそうですし。どのくらい行かれるんですか?」
「1年です。」
「そうなんですね。竹原さん、寂しがってるでしょう。」
彼とは何度かここに来ている。遠藤さんとも仲良くなって、とても気が合う。
二人の話があまりにも盛り上がるので、時々はやきもちを焼いてしまうくらいに。
「・・・まだ、話してないんです。このこと。話したら、寂しがってくれるかなぁ・・・。」
「寂しいに決まってるじゃないですか。1年も離れて暮らすなんて。」
「今でも、離れてますから・・・。」
ちょっと困った顔をされたので我に帰り、申し訳ない気持ちになって違う話題を考えた。
丁度そのタイミングで、遠藤さんが他のスタッフに呼ばれたので、少しほっとした。
視線を落とすと、左手の中指に光る小さいルビーが、美しいポートに寄り添うようにしている。
「店員さんにすすめられてさ。『ピジョン・ブラッド』っていう種類らしいんだ。」
そう言って彼が、付き合い始めて最初の私の誕生日にくれた指輪だった。
誕生石がルビーって、どうしてわかったんだろう。
その時は、ただ嬉しくて、そんなこと聞く必要もなかった。
二つの赤の輝きがあまりにも綺麗なので、私は窓から見えない月を探した。
#PINOKO