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皆川達也のハイランダーイン日記 2010年3月

 皆さんもすでにご存知のように、ポットスチルから流れ出たさほど個性のない無色透明の液体は、樽に詰められて長い眠りにつきます。それから10年、20年、30年と…。そして樽自体の質はもちろんのこと、樽の周りに存在するすべてがその樽の将来を決めていくのです。その樽の位置が低い場所か否か、壁の横なのかそれとも熟成庫の中央なのか。海の近くであれば、その潮風も何らかのアクセントになるだろうし、暑い夏が続けば、それなりの変化を及ぼす。ありとあらゆる要素がウイスキーの将来を左右しているのです。

 昔読んだ本に『過去におこった色々な出来事や、知り合った人々(両親はもちろん、友人やお世話になった先生等)が、今のあなたを創り上げた。色々なものからの影響を受けて現在のあなたになっている』と書いてありました。僕はその時「ほーっ、なるほどな、しかり…」と頷いたのを覚えています。

 僕がバーテンダーに進むきっかけになったのは、10代の頃に知り合ったBARのマスターの影響で、カウンターの向う側から、面白いギャグやそうでもないギャグを聞かされて、「僕もこんなんしたい」と思ったことが今も続いているだけのこと。ウイスキーがこんなに好きになったのは、たぶんある店のチイママの誕生日にご馳走になったバランタイン17年が、ムッチャ美味しかったからだし、なんでインドに行ったのかというと、誰かの旅行の写真を見て、そのサリーの原色の美しさに衝撃を受けてしまったせいである。

 クレイゲラヒ村に1年ほど住んでいたスペイン人のアントニオとは、何回もグラスを「チーン!」といわせて、よく夜更けまでウイスキーを飲んだ仲。彼は当初「タツヤ!コオリハイレナイノカ? コーラハ?」と聞いてきた(これがスペイン流)。「好きに飲んだらエエねんけど、俺が一番美味しいと思う飲み方は、ストレートやな!それかチョイ水!」。最初は「エッ!」というような表情だったアントニオも、少しずつ正統派の飲み手に成長して、今では彼の家のドリンクキャビネットには、なかなか趣味の良いウイスキーが並んでいる。これも他からの影響だと僕は思っている。

 僕たち"人間という樽"は、影響されて、また影響するものなのです。毎日の仕事の中で僕(バーテンダー)が、お客さんに与える影響、そしてお客さんが僕に与える影響は、お互いが思う以上に大きいと思います。これから先、バーボン樽からシェリー樽のような劇的な変化はないにせよ、それでも周りに空気のように、いる人達の影響を一切無視して、自分の40年物、50年物はできないと思っています。

 ちょっと前のこと、エジンバラから中年の夫婦が1週間ほど泊まりにきました。夫のジョンは盲目で、妻のバーバラは車イスという重度の身体障害者の二人。ある夜、その日観光で訪れた所をバーバラが説明している会話を耳にしました。「そのBARには数えきれないほどのボトルがあって…」とか「その緑の美しさは本当に…」とか。それを聞きながらジョンは、あたかもその場面を思い出すかのように微笑みながらウイスキーを飲んでいるのです。バーバラの目は彼女だけのものではないことに、その時気づきました。夜も更けてきた頃、ジョンはバーバラの車イスを押しながら部屋にもどって行きます。バーバラの「真っ直ぐ、真っ直ぐ!」や「ちょっと止まって!」のサインを聞きながら「おやすみなさい」と微笑みかえす。その時僕は「あーっ、いい樽やなぁ…。素晴らしい50年物や!」と思いました。

 二人からのオコボレをちょっといただき「僕の熟成のスパイスになるように…」と、まさしく樽の周りにある空気が樽の中へ入っていくような感じで…。「バーテンダーをしていて、こういう人たちと、こんな瞬間に出逢えて良かったなぁ」と本気で思え、またひとつ熟成が進んだ夜でした。


皆川達也  TATSUYA  MINAGAWA
1969年山形県山形市生まれ。18歳から京都でバーテンダーの職に励み、1998年にスコットランドへ渡る。エジンバラで4年間過ごした後、スペイサイドのCraigellachie HotelのQuaich Barでバーマネージャーに。2005年6月より同地Highlander innでダイレクターとして日々接客に務める。現在「Scottish Field Magazine」のWhisky Merchants' Challengeでテイスターとしても活躍中。趣味はサーモン釣り、マラソン。

 

#皆川達也のハイランダーイン日記

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