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■「ノチーノ」クルミのお酒

■Nocino クルミのリキュール。Noce=クルミ。

北部イタリア、エミリオロマーナ州グラツァノ・ヴィスコンティは、
映画作家ルキノ・ヴィスコンティの故郷でもある。

中高年映画オタクは、物心ついてからずっと、ヴィスコンティ作品を忘れられない・・・。
そんなことをイタリアの知人に話したことがあるのだろう。
「文化交流」という事で、訪れた街では、
「ジャポネ、ヴィスコンティ城を訪ねる」というイヴェントにしてしまったらしい。

・・・あっちゃー。言葉も喋れないのに、いきなり、どうしよう。と思っていると、
翌朝ホテルには、すでに通訳と迎えのクルマが来ている。
そして30分程で「お城」へ到着すると、ふたりの紳士が出迎えている。
「チャーオー」と紹介されると、コムーネの長=県知事と文化担当者だった。
新聞記者たちも来ている。
珍道中もここまで来ると、為る様になれだ。

そして普段では入れない、お城の庭へ案内された。
後で解説書を見て解った事だが、お城を取り巻く、このグラツァノ・ヴィスコンティ村は、
1900年に、中世の町を模して造られたテーマパークでもあるのだった。
「ミラノからのデートコース」なんていって、日本の雑誌にも紹介されたりしている。
1900年といえば、「ヴェルディが死んだ」と始まる、ヨーロッパ激動の20世紀・・・。
ベルトリッチの映画のシーンを思い出せばよい。
・・・初夏の静寂に包まれたお城の庭園は、
彫像などにも蔦が繁茂していて、まるで「天空の城ラピュタ」だ。

そして当主ジャンマリア氏との昼食となった。
いま観て来た「家族の肖像画」に、ルキノと共に描かれていた少年が彼だ。
いきなり、どうしよう。まあランチだから、あと小一時間の辛抱か。
と考えたのは、間違いだった。
――わたしはヴィスコンティの作品を限りなく愛惜しています。
・・・そんな事云ったって、ちゃんと通訳してくれないだろう。
だいたい映画は、日本語タイトルと原題がなかなか一致しない。
――I LOVE VISCONTI。
するとジャンマリア氏は、「先週はBBCが、ドキュメンタリーの取材に来ていた」と笑った。
そうかこれ以上、このハナシは野暮というもの。と思い、
壁に目を遣ると、あちらこちらに「馬」の額縁。
――ヴィスコンティ家は、多くの名馬も輩出したのですね。
――スィー。フェデリコ・テシオは、「友人」です。
・・・近代競馬の父といわれる、フェデリコ・テシオが友人とは、二の句が告げない!
――イタリアからの名馬トニービンの孫たちが日本でも活躍していますよ。
なんて云って、ようやく話が廻り始めた。

美味しいリゾットや、美味しいワインで、すっかりいい気持ちとなり、
それでも、どうやらデザートに漕ぎ着けたか。と思っていると、
食後にすすめられたお酒が、この地方自慢のリキュール「ノチーノ」だった。
何だかわからないまま、一口味わうと、こってりと甘い。
それは昔の「黒玉」という黒砂糖で出来た飴玉を思い出す味だが、
強度のアルコールに導かれて、すんなりと拡がってゆく、独特の味わいであった。

「ブオーノ、ブオーノ」それしかコトバを知らないので、馬鹿の一つ覚えで、また「ブオーノ」。
すると、ジャンマリア氏はいうのだった。
――日本語で一番「汚い言葉」を教えて。
さすがは貴族だ。相手への配慮を欠かさない。
――そうですね。「BAKA」かな。
――「BAKA」ね。よろしい。と言って携帯を取り出した。
――ちょっと、待ってください。何処へ掛けているのですか。
――ちょっと、息子へ・・・。ツーツー「プロント、BAAKAA」
――なんか、あんまり「汚く」ありませんね。
――ウン。もっと「汚いコトバ」は。
――ウーン。汚いといえば「糞ったれ」というのは如何でしょう。
――「KUSO」?
――そうです。「KUSO」です。
――OK。OK。ツーツー「プロント、KUSOO TAREE!」
――・・・。

そうやって、遊んでいるうちに、気がつけば時計の針はとっくに3時を過ぎていた。
同席した二人の紳士のお役人は、これまた、われわれに関係なく、
延々と政治の話を戦わせていたことも、片方の耳で感心した。

・・・はじめて味わった、クルミのリキュール。
リストランテのジェラードにかかっているのもこれだった。
「ノチーノ」を、また味わいたいと思う時がある。
しかし「Nocino」は、あのボトルでなくてはならない。
そう思うのは、そんな思い出が絡むからだ。

#■FOOD

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