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12年

情けない話しだけれど、僕は忘れかけていた。
12年前の今日、阪神地区で大地震があった事を。

当時の僕は大学生で仙台にいた。
すぐに飛んで行く覚悟もなく、ただ呆然とニュースを聞いていた。

結局神戸に行ったのはその夏。
震災遺児の現状調査のボランティアで、一時、御影中学校に住まわせてもらった。

被災者に会う事は遠慮し、いわゆる裏方の手伝いをさせてもらった。
それは偽善ぶってボランティアしてる顔をしたくなかったし、
なにより僕は出会った人々とずっとお付き合いできる自身が無かったから。

それでも、被災者の声は文章や語り、そして肉声で多く聞いた。
今でも思い出す。「がれきから救い出せなかった私が埋もれた父を殺してしまった」と
無力な自分を攻め立て涙する少女の事を。
そして誰もが「違う」と分かっていても、少女の思いを否定できなかった心の苦しみ。

12年が過ぎ、神戸の街は、当時の面影がめっきり無くなってきている。
そして小学生は震災を知らない。丁度、僕らが戦争を知らない様に。
でも忘れてはいけない。

ウイスキーは12年で十分美味しい物になり得る。
傷付いた人の心は12年で成熟するのだろうか?

今夜はハッと思い出して物思いにふけってしまった。当然、酔いも冷めた。
今日の晩には仕切り直して、12年物のウイスキーを飲もうか。

そして12年前の僕が何を考え、どんな将来を描いていたのか、
周りの人々と何を話していたのか、そしてどんな恋をしていたのか、
ゆっくり振り返ってみよう。

#others

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