ミンモアハウスを後に『THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)』蒸留所へ。「グレンリベット」とは、ゲール語で「静かなる谷」という意味だという。(牛と、羊と、うさぎと、鴨と、アヒルしかいないんだから、当然である) しかし現在、『THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)』は、5つ星の観光施設(visitor attraction)なので、昼間には静寂を貫き、大型観光バスが何台も並ぶ。(那須高原の地ビールブルワリーに、社員旅行のバスが並ぶようなものですね)バスから降り立った御婦人が、わたしたちにフレンドリーな微笑をふりまく。
「モーニン。良いお天気ね。どちらからいらしたの?」
「モーニン、マダム。私たちは日本から来ました」
「まあ、にほんから」
「ええ、日本から」
たぶん彼女達は、日本が何処にあってどんな国なのか、まったくのところ、知っちゃいないのだ。大衡村の叔母さんが、スコットランドのことをなんにも知らないみたいに・・・。知らなくったて、彼女たちの生活には、何の支障も無いものね。
ツアーは10人位が集まったところで、約15分おきにスタートする。我々についたデニスは「当たり」のガイドだった。英語がシンプルでわかり易く、アドリブのジョークを取り入れるのがうまい。恰幅のいい身体を大きく揺さぶりながら、リードしてゆく。粉砕の工程では、お決まりの口上が述べられる。
「えー、この容器に入ったものはなんだか解かる?みんなが毎朝で食べている・・・、そう、コーンフレークスさ。(ウインク)まあ、ちょっと、食べてみてくれ」
みんなは、それは嘘だって解っているけど、まあ、付き合ってやろうかという感じで、つぶれたスモーキーな大麦をつまむ。大人のジョークを理解しえない、純粋な少女だけが、なんかヘンだよと、顔をしかめてママンを見上げた。
貯蔵樽は5~6mの高さにまで積み上げられてる。フォークリフトで上げ下ろしするそうだ。デニスが遠い目をして話し始めた。
「スペイサイドにはたくさんの蒸留所があるから、天使に分け前されるべきウイスキーは、そりゃもうたくさんあるんだ。(何年も樽熟成をさせるうちに、中のアルコールが少しずつ蒸発していく。それを、天使の分け前、エンジェルス・シェアという)俺が想うに、ここには世界中の天使が、おおかた集まってきてるのさ。いわば天使に愛された場所ってわけだ。けれど想像してみてくれ。この樽の量だ。いくら天使だって、飲んだくれて、アルコール中毒になってしまうよな。ところで、天使が見えるかい?天使は心の綺麗な人にしか見えないのさ。ほらここにも、ほらそこにも、君の後ろにもいる。(ウインク)」少女は肩越しに後ろを振り返って、もじもじし、天使が見えない不安の瞳で、ママンに助けを求めるのだった。
ティスティングは『THE GLENLIVET 12years』、昨夜『鳥福』で空いてしまった、あのウヰスキーである。
輝く金色。香りからは、ざくろ、秋の赤い木の実をつけた枝や、紅葉した木々を連想する。シャープに飛び込んでくる切れ味の奥に、オレンジ色や朱色の花の持つ情熱感や、エレガントさが潜んでいて、余韻がとても長い。オレンジピールをチョコレートでコーティングしたお菓子と合いそう。
100年以上続いた密造酒時代が終わりを告げ、1824年にザ・グレンリベットが政府公認の第一号蒸留所となった時、創業者のジョージ&J.G.スミスは、密造仲間から裏切り者呼ばわりされ、命を狙われるようになってしまったそうである。エキシヴィジョンには、当時、彼が護身用に身に付けていたピストルが展示されていた。どうも、牧歌的な景色とはうらはらに、ザ・グレンリベット蒸留所をめぐる騒々しさには、今も昔も変わりがないのであろうか。
http://www.theglenlivet.jp/introduction/history/