ミンモアハウスはB&Bでありながら、半径15Km内に町が無いので、夕食まで供出するオーベルジュ形式をとっている。午後8時少し前にウエィティングBarに入ると、ジャコビアン様式で設えられたインテリアの真ん中で、暖炉の炎がたおやかに揺れていた。赤いベルベットの影が、ここに集う人々のグラスや衣服の襞(ひだ)に、華やかに降りていく。
わたしたちの気配を感じ取り、濃紺にピンストライプの三つ揃えのスーツを着込んだブリテンな紳士と、ロイヤルブルーのワンピースに身を包んだ婦人との御夫婦が、高尚な微笑で挨拶を求めてきた。わたしは、からだじゅうのエネルギーを瞳に集中し、顎を引き、口角をクイッと高めに持ち上げて、微笑をつくった。高尚な微笑なら『ローマの休日』で研究済みである。(けれど、眉も一緒にクイッと動かすと『風と共に去りぬ』のスカーレットになってしまうので、気をつけなければならない。と、森瑶子さんは言っていた)
「あら、日本の方かしら?」との声に、奥のソファに視線を伸ばすと、わたしたちと同年代の日本人夫婦が立ち上がった。彼らはロンドン在住で、週末ごとにカントリーサイドに小旅行しているそうである。
笑談をしながらアペリティフを楽しんでいると、ドアが開き、ベンジンを先頭に、シェフと、サーブの女の子が登場した。良さんは斜(はす)な角度をつけてベンジンを睨んだが、ベンジンはあくまでも涼しい顔ですましている。
シェフは、リンの御主人で、若い時分にフランスで料理の修業をした経験があるという。ひととおり本日のディナーの説明を終えると、ぱんっ、と、ひとつ手を打って両腕を広げ、
「では今宵は、どうぞ僕の料理を心ゆくまで、堪能なさってください」と布告し、べンジンを従えて消えた。
サーブの子が、料理を踏まえたうえでの飲みの物のオーダーを取る。ブロンドの髪をポニーテールに結って、ほっそりと背が高く、黒いセーターとパンツにベージュのエプロンをつけている姿は、なんとなくオードリーを彷彿とさせる。
老夫婦はオーガニックの赤ワインをオーダーしたが、日本人夫婦は飲み物を取らなかった。
さてわたしたちはまず、ワインセーラーがあるのかを尋ねてみた。
「ええ、あるわ」彼女の視線に力がこもる。
「一緒に来て。見てから決めるといいわ」(シュア、シュア。オフコース。である)
セラーの、独断と偏見に満ちたそのワインセレクトを眺めていると、御主人は間違いなくボルドー地方で修行を積んだに違いないという考察に辿り着く。なんたって左岸ばかりである。(ボルドー地方、ジロンド河の左岸には、グラン・ヴァンのシャトーが、キラ星の如く存在している)ヒューッと口笛を吹いて、スコットランドに着いてから、たくさん目にした羊にあやかって『ムートン』を開けてやろうかとも想ったけれど、マリアージュを考えて『ch. Brane Cantenzc 1998』にした。
「これにするわ。」わたしがワインを棚から引き抜くと、彼女は「Oh! グレートね」と、右手の親指を立てて賛成してくれた。
夏の欧州は、緯度が高いほど白夜に近いわけで、各々が席に落ち着いたころに、やっと辺りが暮れはじめた。
女の子は手際よくワインを抜栓し、うやうやしくグラスに注いだ。
*小麦胚芽のパン
*かぼちゃのポタージュスープ
かぼちゃの甘味、滋味深さを極限まで引き出すのに成功している。たっぷりの量であるにもかかわらず、決して重くなく匙がすすむ。これまで幾度となくかぼちゃのスープを食してきたけれど、ダントツである。ACマルゴーのやさしさと、ポタージュのリッチ感が相まって、スープでワインが飲めてしまう。
*鴨のソテー、ドゥミグラスソース、パッションフルーツとともに
鴨は1cmほどもの厚みでカットされていて、たっぷりのソースがかかっている、あくまでもジューシーで、そのエキスに喉が鳴り、肉片を呑み込んだ途端に、すぐに次の肉片に手が伸びてしまう。生のパッションフルーツをくずして、肉片に絡ませて食すと、その甘酸っぱさは、ワインが持つブルーベリーやフランボワーズのような甘い香りと果実味にぴったりで、通常では体験し難い、爽やかなマリアージュとなった。(ここまでで、見事にワイン1本を、するすると飲み終えた)
*りんごのスフレ
なんてメニュウは、よっぽど自信がない限り出てこないものである。角が立つメレンゲそのままのふんわり感。きめ細やかな生地は、これ以上ないほどに空気を抱え込んでいる。そしてカルヴァドスの、鼻腔の奥をくすぐる酸味たっぷりの甘さ。熱さにやられながらも、口の中の皮がむけてがべろべろになっても、時間と競争するように食した。