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マクリーホテル

 今や、日本に於けるスコッチ研究家の第一人者である土屋守氏は、http://www.scotchclub.org/profile.htm
ロンドンで日本語雑誌の編集部に勤務していた頃に、当時、マクリーホテルのオーナーであったマードー・マクファーソンから、アイラ島を雑誌に取り上げてみてはどうかというオファーを受け、そのホテルを訪れた。バーで、マードーにあてがわれるままグラスを重ね、したたかに酔ってベッドに入った彼は、喉の渇きに耐えられなくなって夜中に目覚める。しかし、水道をひねると茶色に濁った水しか出てこない。そんな水を口にするなんて、日本人の感覚では信じられず諦めようとしたが、渇きは限界に達し、とうとう一気に飲み干してしまうのである。それは冷たく柔らかい、太古の大地の匂いがするピートの水だったのだ。
(こんな美味しい水で仕込んだウヰスキーがまずいわけがない、スコッチのすべての蒸留所をこの眼でみてみたい)
そのようにして、彼はバスルームで衝撃的かつ運命的な「スコッチウヰスキーとの出会いの瞬間」を迎えた。
スコットランド旅の物語 (単行本(ソフトカバー)) より
土屋 守 (著)
 
 バッカスの計らいにより、わたしたちは、モルトウヰスキー好きにとってバイブルのような彼の著書をなぞるように、その現場に投宿することとなった。(三蔵法師が歩いたシルクロードとか、松尾芭蕉の奥の細道とか、先駆者の軌跡を辿り、その想いを確認する旅というのは、どのようなパターンでも浪漫と夢を孕んでいるものですね)
 荒涼としたピート湿原の上空に、『風と共に去りぬ』のタラのテーマがぴったりくるような、ドラマティックな夕焼けが広がる。わたしたちは、湿原を切り裂く一本道を辿り、マクリーホテルへ向う。視野に入るものは、大空と大地と、遠くにポツンと見えるホテルと想われる白い点だけである。大都会にいると、高い建物のせいで、空間の比率は、地7:空3ぐらいに感じてしまうが、ここは地1:空9ぐらいの感じである。 黄昏て、雲は刻々と色を変える。明るさと闇が鬩(せめ)ぎ合い、逆転し、気温も急激に下がってきた。
 アプローチのゲートを通過したところで、暗闇にぼおっと浮かび上がる建物は、推理小説の舞台に適した、外界から遮断された館のごとくであり、都会の雑踏や喧騒に慣れきったわたしたちは、早くも心細さと緊張で、体が強張(こわば)ってゆくのであった。
 バーにも食堂にも人の気配が無い。チェックインは済ませたものの、まさか、宿泊客はわたしたちだけなのか?予感を助長するように、渡されたキーの部屋まで、廊下の照明さえ点(とも)っていない。これはもしかして「ま、今晩はあなたたちだけだからね。節電に協力してね」という意味合いなのだろうか?
 淋しいウエルカムに、ずっしりと重たくなった気持ちとトランクを引きずって、しぶしぶと部屋に入った。
 
 ・・・広い。・・・清潔で安全で広い。トランクはベッドの上に載せずともゆうに7個は広げられる。バスルームにだって3個は広げられる余裕があるではないか。室内は深いグリーンのタータンチェックと白でコーディネートされ、天井は高く、カーテンもたっぷりしている。わたしたちの不安は一気に払拭された。空調にも水回りにも問題は見受けられない。そして、いままでのB&Bには無かった文明の利器、テレビが設置されていた。何よりもまず、テレビのスイッチをオンして、ささやかに毒された日常を摂取すると、やっと世界からの疎外感が薄らいだ。

さっそく蛇口をひねり、茶色い水を飲んでみる。決して「**にちかい味」というように、独特な風味がするというのでは無い。強く香り立つピーティーさがあるという訳でもない。ただひたすらに柔らかく、細やかな細胞や髪の一本一本にまで行き届き、からだ全体が「甦る」のがはっきりと解かるのだ。
(あぁ、これは・・・。・・・人間も植物も死んで土に帰れば同じこと。そのような、太古の昔から変わらずに脈々と連鎖してきたはずの原始的な成分だよ。洗練されてしまった人間社会の何処かの時点で、亡くしてしまった味だよ)
初めて水を意識した時のヘレン・ケラーのように、わたしたちは、顔にぱしゃぱしゃしたり、何度も口に含んだりして、その感覚を楽しんだ。白いホーローのバスタブに湯を張ると、上等なダージリンのお風呂に入浴するような感慨深さもあった。

 翌朝、階下へ降りてゆくと、ゴルフウェアに身を包んだ紳士たちがロビーにたむろしていた。
 実はマクリーホテルはアイラ島で唯一のゴルフコースも携えており、ホテルの裏庭がコースである。と言っても、何の区切りも仕切りもあるわけではない。
そして、わずらわしい林や、いやらしい池や、信じられないサンド(砂場)は存在しないが、ピート湿原独特の、草の絡み合った強力なラフが存在する。
 どうやらこの人々、ゴルフのために早寝早起きし、すでに朝食も済ませたようである。そのなかには、日本のS社のパーティも見受けられた。
 そうなのだ。ゴルフの予定も無いのに、このホテルに宿泊したのが、わたしたちだけだったのだ。
 みなさんがラウンドに出掛け、またもや人気(ひとけ)が無くなった食堂で、わたしたちは居残りを命ぜられた生徒のような気分で、朝食を取る羽目になったのである。あぁ、淋しい。

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