ポートエレン地区からボウモア町へ戻る道すがら、良さんは手を挙げて、対向車へ挨拶をするという実験を試みた。それはガイドブックに『見知らぬ島の人々が、車ですれ違う時に、まるで知人にでも挨拶するように、対向車から手を挙げて挨拶をしてくる。それは島民のやさしさなのだ』と書いてあったからで、ほんとうに驚くことに、百発百中の確率で挨拶が返ってくる。しかも寒冷地独特の赤いほっぺを緩ませた、素朴で温かい微笑みつきである。
直線の先には、先程ラガヴーリンで知り合った金髪のピーターと赤毛のラルフが持て余し気味のスタミナを燃焼させ、連なって自転車を走らせている姿が見える。
「悪いねぇ!先にバーでやってるよ!」
良さんは速度をキュイーンとあげ、自動車の長所を存分に見せつけて、ふたりを追い越した。
今夜の宿は「LOGHSIDE HOTEL(ロッホサイドホテル)」、アイラ島を紹介するどのガイドブックにも必ず取り上げられている有名なホテルである。ボウモアの町の中心部にあって、そのバーには400種以上のモルトが用意され、世界中からモルト巡礼に訪れるウヰスキーラバー達を労(ねぎら)う役割を果たしている。(いわば門前町とか仲見世とかの、おだんご屋または甘酒屋のようなのもですね)
ここならいくら飲んだところで、手すりを頼りに階段さえ上がれば、ベッドはすぐそこにあって、どんな状況をもやさしく受け容れてくれるはずである。さっそく部屋を案内してもらう。
・・・しかし、部屋は想像を絶するほどに狭かった。確かにドアを開ければたった一歩でベッドで、便利至極ではあるが、そのシングルベッドは部屋の8割を占めており、トランクを広げる床のスペースはどう頑張っても確保できそうに無いし、さらなる悪条件として、わたしも良さんも『大』の字に寝る習性があるのだ。
「良さま。ふたり仲良く小さい『林』の字になって寝ましょうか?」
「いや、どちらかが『人ベン』どちらかが『木』の、『休』という字になって寝ないと無理だろう。そして人ベン役はきっと僕なんだ。・・・」
結婚6年も経過すると、新婚のように重なり合って寝るという発想はなくなるのである。
ただでさえ息苦しい部屋の中に、このままでは今宵ベッド争奪紛争が勃発しそうな、きな臭さが漂い始めた。まったく。喧嘩の火種というものは、どこに転がっているか知れたもんじゃない。良さんは解かり切った事を口にした自分をすぐに後悔したらしく、わたしの手をとって新たなる提案を申し出た。
「ふじこさん。別なホテルを探そう。観光案内所が斜向かいにある。そして、どうしても見つからなかったら、そのときは諦めてここへ戻ろうではないか」
ボウモアの町は、シンボルの円形教会から港へ向かう緩やかな下り坂と、ボウモア蒸留所から延びる道がクロスした交差点を中心に、半径3分以内に公的な機関が集中している。学校も、銀行も、郵便局も、スーパーも、観光案内所も。
良さんは宿探しに苦戦していた。ボウモア町内の、食事が美味しい、ツインベッドルーム。そんな条件の揃った宿はすでに何処も満室であった。
「ツインベッドが用意出来るのは、ポートエレイン方面に車で20分走った、マクリーホテルというところだけだって・・・」
(・・・マクリーホテル・・・マークリーホテル)わたしには何か引っ掛かるものがあった。
「!!!良さん、それって、土屋先生の本に書かれてた、土屋先生がスコッチに導かれるキッカケとなったホテルよ!あぁ、良さま。これはすべて運命よ。何故、いままで気づかなかったんでしょう。一連の流れはそこに行き着くように成っていたのよ。バッカスは、またしてもわたしたちを導いているのよ」
わたしは興奮すると、アン・シャーリー(赤毛のアン)的に、両手を胸の前で組み合わせ、一気にまくし立てる話し方をしてしまう。
良さんはわたしの興奮した背中をドウドウとなだめつつ、組み合わせた手に手を重ね宣言した。
「よし!マクリーホテルに決定だ!!!」
宿泊取り消しのため、ロッホサイドホテルに引き返すと、やっと到着し、ホテル前に自転車を止めようとしているピーターとラルフに出くわした。
「なんだ君達、ずいぶん遅かったじゃないか。先にバーでやってる筈じゃなかったのかい?車がパンクでもしたかい?それとも、一直線にピートにでも突っ込んだのかい?」
むむむ。彼等を余裕の態度で迎えるはずが、一足違いで先手を打たれてしまった。
「ああ。そうだ。ついでに、ピートを掘り出すのを手伝って来たのさ」
良さんがウインクをすると、両者はガハガハと笑って、再会の握手を交わした。
「僕等はこのホテルに泊まってるんだ。夕食のテーブルを予約してあるから、よかったら一緒にどうだい?」
(・・・りょ、りょ、りょーさん。このひとたち、あの狭いベッドに重なり合って寝てるのかしら?)(あのねふじこさん。僕たちは予約してなかったから、最後の空室であるシングルルームを案内されただけで、彼等はきちんと広めのツインルームとかを予約したのだと想うよ)
(そ、そーだね)
夕食をともにし、特に驚いたことが2つあった。ひとつは食欲である。体の大きな彼等が日がないちにち自転車をこいでいるのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、わたしたちがひとつの料理を分け合って食べてちょうど。あぁ、ごちそうさま。って感じの料理を、あくまで前菜のようにぺロっと平らげ、追加オーダーをどんどん入れてゆくのだ。彼等の胃袋は、少なく見積もっても、わたしたちの5倍のキャパを持っている。さすがはバイキングの末裔である。。
もうひとつは、ピーターが大変なアニメ好きで、日本のアニメをスエーデンに紹介するプロモーターの仕事をしており、特に『うる星やつら』の『ラム』ちゃんにぞっこっんであると告白したことであった。そして、「ほらねッ!」とズボンのすそをまくり上げ、ラムちゃん柄の靴下を見せてくれたのだった。