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LAPHROAIG

 ラフロイグを語るとき、ひとりの女性、ベッシー・ウイリアムソンを抜きには出来ない。ベッシーはグラスゴーに生まれ、グラスゴー大学で修士号を取得した才媛であった。たまたまラフロイグ蒸留所の事務職に病欠が出たため、3ケ月だけという期限つきでアイラ島に渡ったのであるが、オーナーからすぐにその能力とセンスと情熱を買われ、ウヰスキー造りのすべてを叩き込まれることとなる。ウヰスキーという保守的な業界でありながら、彼女は男性顔負けに仕事をこなしていった。オーナーが亡くなると遺言により蒸留所は当時43歳のベッシーに譲渡され、それから彼女は1972年までの約20年を、ラフロイグのオーナー兼所長として勤め上げたのである。そして、その後も蒸留所に隣接する「アーディナスティル・ハウス」に住み、リタイアから10年後に71歳で他界したのであった。たった3ケ月のはずが、家庭を持つこともなく、一生をラフロイグに奉げ、まさにラフロイグの「歴史と伝説」そのものとなったのである。
 モノクロの写真で見る40代の彼女は、骨格がしっかりしており、首が太く、知的さを象徴して額が広く、頭も大きい。微笑んだ口元からは丈夫で健康そうな歯並びが覗える。鼻は高く大きく、眼鏡の奥に輝く瞳には、強靭な意志の強さが宿っている。こう並べると、豪快で、色の欠片も無い女傑のように想われてしまいそうだが、彼女は、ペイズリー柄の、体のラインを強調するカッティングが施された、仕立ての良いワンピーススーツを着こなし、繊細なデザインのイアリング、チョーカー、ブレスレット、指輪、時計を身に付け、とても女性らしいいでたちで優雅さとエレガントさを醸しだしているのだ。だから、たいていの人は、第一印象で「かなわないな」と想うのではないだろうか。

 この日の見学ツアーは、終了してしまったあとだったが、わたしたちはテイスティングルームに立ち寄ることを許された。案内してくれたひとが、どういう立場のひとか判らないけれど、
「これは自由にティスティングしていいよ。帰る時に出口で声を掛けてくれればいいからね」と、ボトルとグラスを指し示してドアの向こうに消えてしまったので
「あれ?もしかしてわたしたち、ほっとかれた?」という感情を拭えなかったが
「信頼されたということでは?」と、ポジティブな見解でこの状況を捉えると、そこは世界で一番贅沢なバーと化した。
なんといっても、わたしたちはラフロイグの体内に自由な空間を与えられ、ベッシーの魂が受け継がれたラフロイグ15年でグラスを満たし、蒸留所の窓越しに見える、小さな入り江にさわさわと寄せては返すさざ波を眺めているのである。
 (ベッシー、わたしたちは貴女の愛したものを体感していているのよ。貴女を成り立たせていたものが揃っているこの同じ場所に身を置いて、貴女が生涯を掛け目指したものの核心を、どこまで読み解くことができるかしらね)
 (いいえ、分析は必要ないわ。ラフロイグが五臓六腑に沁みて、その瞬間、生きていることの喜びをじわっと実感できたなら・・・それが本望よ)
ベッシーはそう言って、わたしたちにウインクをくれた。

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