DOUBLE MATURED – PORT
第二章 Second Order セカンド・オーダー
銀座の夜は、如月の寒さを厭わない。
カウンターは少しずつ埋まっていった。
私は、ハード・シェーキングの音に紛れるピアノを探しながら、
彼と出会うことになったツアーのことを思い出していた。
参加者の高橋さんはとても優しく、ひとりで参加した私のことを気遣ってくれた。
そんな高橋さんご夫婦に、パリでの自由時間に一緒に買い物に行こうと誘われた。
ツアーコンダクターである彼の案内で。
「ご一緒させてもらってもよろしいですか?」
かなり勇気を出して申し出たつもりだったけど、彼には不思議と自然にそれが言えた。
パリでの買い物は楽しい。
高橋さんみたいにたくさんは買えなかったけど、お気に入りのブランドの
まだ日本では発売になっていない新作を手に入れることができた。
旅の途中から、徐々にうちとけていく自分がいた。
ロックグラスの丸い氷が、少しずつ解けて、ウイスキーと調和し、
柔らかく、それでいて媚びない芳香を放っていくかのように。
-愛した人を忘れるため?
ルーブルや凱旋門を前にすると、そんな旅の目的が、とるに足らないものに思えていた。
何に固執していたんだろう。
何を受け止められなかったんだろう。
何から逃げ出したかったんだろう。
事実は一瞬の現実か、過去のものでしかなく、
過ぎてしまったことをどうすることもできないのに。
消化していく時間を、
流れに身を任せる術を、
永遠に続くであろう秒針に紛れる日常に、見い出せないでいただけなのかもしれない。
サンジェルマンの老舗のバーで、彼と過ごしたひとときがついさっきのことのように思えていた。
私たちは、日本から遥か遠くの異国の地で、
数え切れないほどのシーンを見てきたであろうバーの空気に抱かれて、時を忘れた。
シャンパンで乾杯した。そのときにテタンジェというメゾンがあることを知った。
『フレンチ75』というカクテルを初めて飲んだ。
お互いのことをたくさん話した。
可能性という、なんだか空想みたいな未来の話もした。
少し酔っていたのもあってか、私は珍しく自分のことも語った。
そのバーでの全てが新しい発見で、私を嬉しくさせた。
唯一、あと少しで旅が終ってしまうというシナリオだけが、私を寂しくさせていた。
帰国して、彼とつきあうことになるなんて、その時は思いもしなかったけど
今思うと、なんとなくその時にはもう、そんな予感がしていたのかもしれない。
自惚れていたわけじゃない。
ときに、異なる個性と個性が何かの偶然で出会い、惹かれあって、別のきらめきを生む。
まれに、明確で論理的な根拠など無いときもある。
あるバーテンダーさんが言っていた。オリジナルカクテルが一瞬の閃きで生まれることもあると。
そして、たまに失敗することもあるんですと、それはおそらく謙遜だったのだとは思うけど
肩をすくめて付け加えていたのを思い出す。
それだから出会いは素晴らしく、そして儚いのかもしれない。
21時を回った夜空の見えるバーはいつの間にか賑やかになっていて
それぞれのテーブルに、淑女の纏う香水の上質な香りが漂っていた。
私にも好きな香りがあった。
「トレゾァ」という名前の、「宝物」を意味する思い出の香り。
廃盤になってから手に入らないと思っていたゴージャスなオレンジの瓶を、
彼が見つけてきてくれた。彼との思い出のほとんどは、「トレゾァ」とともにあった。
香りは記憶に残りやすい。よい時もあり、そうでない時もあることを知っている。
#PINOKO