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飯山線、小さな旅と大げさな僕。

一昨日は、肝心のSMWSヴォルツテイスティングの内容に触れることがなかった。
楽しかったのは覚えているのですが、テイスティングの内容は、その後の恐怖体験でほとんど失われてしまいました。

僕が気付いた時、電車は終着駅に停車するところだった。
すっかり乗り過ごしてしまった。
駅員に聞くと、すでに長野行きの最終列車は出てしまったらしい。

24日は、SMWSのテイスティング会に参加し、二次会の後、帰途に着いた。
電車の中で眠ってしまわなければ、22時ごろには帰宅し、楽しい一日をブログに綴っていたに違いない。
でも実際は、22時44分の戸狩野沢温泉駅のホームに僕は立っていた。

戸狩野沢温泉駅を出た僕はなかば諦めながらもタクシーの運転手に声をかけてみた。
懐には4千5百円しかなかった。
仕方なしアパートがある地区の方向だけ聞いて歩き始めた。

幸い、コートを着ていたので寒くはなかった。
歩き始めると、昼間のウィスキーがまだ体の奥に感じられた。
駅の周りの集落を出ると、道は真直ぐ米の産地として有名な田園地帯を貫いて伸びている。
昼間に通るなら、風光明媚な場所だった。
規則的にアスファルトを鳴らす自分の靴音が大きく感じられた。
不本意な状況下だけれど、僕は自由な空気を吸っている。
意外にも、仕事帰りの車の中でも、部屋で好きな音楽を聴いているときにも感じられなかった開放感に浸っていた。

遠く、戸狩へ向かう最終列車が、田園の中ほどにある小さな駅に停まっているのが見えた。
大きな湖に浮かぶ小さな島か、暗い海に停泊する船のようだった。
その電車は僕にとって何の意味も持たなかった。
星空は雲に遮られていたが、そのために冷え込みは緩やかに感じられた。
街路灯から街路灯へ、黙々と歩く。先は長かった。

飯山へ出ると、道は広くなり、深夜営業のレストランの明かりや、長距離を走る大型トラックが風を巻き込みながら隣を過ぎていった。
パトカーが信号待ちをしている。

職務質問してくれ。

そうしたらこの先、曲がりくねり、暗がりから闇へとつづく山道を歩かなくてもアパートに辿り着けるかもしれない。
しかし、パトカーはゆっくりとした速度で横を通り過ぎていった。
僕が深夜の客を期待している「いかがわしい本屋」の前を通り過ぎたところだったので、勘違いしたのかもしれない。
誘惑はされたけれど、もちろん、通り過ぎただけだ。

飯山の外れで、117号線は千曲川を渡る橋を逸れ、川沿いの闇に消えている。ためらっても仕方なかった。

いくつかの曲がり角を過ぎ、いくつ目かの街路灯に近づいた時、確かに、後ろから何かが追いかけてくる音がした。
カタカタカタカタ・・・振り向いた瞬間に襲ってくるはずの恐怖が頭をよぎったが、振り返らずにはいられなかった。
実際は何のことはない、ただ枯葉が巻き込まれてついてきただけだ。
ほんの僅か前の想像が滑稽に感じられた。
同時に肩甲骨辺りから頭の天辺へ向かって震えが駆け上がっていった。
本当に枯葉は巻き込まれてついてきたのだろうか。
たぶんそうだろう、風は全くなかったのだから。
歩くしかなかった。
崖の上の方で、動物が形容しがたい声で小さく呻いている。
走り出したくなる衝動を押さえ、一定のリズムで歩を進めた。
もし走り出したりしたら恐怖で耐えられなくなっただろう。
もう、先へ進むにも、後へ戻るにも、遠かった。
崩れかけた道の下のほうから、岩に阻まれた千曲川の流れが、絶え間なく発せられる呪いのような激しい音を響かせた。
途切れがちな街路灯の青い明かりは忘れた頃に曲がり角の向こうに見えた。頭の中で歌を歌おうとしたがうまくいかなかった。
時々感じる炭のような匂いは、枯葉の匂いか、それとも何かの燃えカスの匂いだろうか。
あるいは体の無数の小さな毛穴から昼間の余市が染み出しているのかもしれない。

僕は自分を鼓舞するためにウィスキーのことを考えた。
きっと独りで行くスコットランドはもっと寂しいだろう。
深夜、たった数キロの山道を一人で歩けないのならスコットランドへ行って何ができるものか。
そう考えると今の状況が、ほんの少し、軽くなった気がした。
誰でも年をとるごとに背負うものが増えていく。
目の前に何かの霊が現れたとして、おそらく生きている僕等の方がよっぽど困難で苦しいのであり、何も恐れる必要はないのだ。
駅を出た時と同様に、歩いてこの先も進むしかないのだ。

でも神様、僕に霊感がなかったことだけは、素直に感謝しています。

千曲川から少しはなれ、裏庭くらいの小さな田んぼや畑があらわれ始めると、やがて民家が散在するところまで辿り着いた。
すでに午前2時を回っていた。
見慣れた町が遠くに見えてくると、小さな旅の達成感がこみ上げてきた。

報告するまでもありませんが、無事帰還することが出来ました。
今思えば、結構楽しかったけれど、もう深夜に同じ道を歩くことはしないでしょう。

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