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奈良の橿原神宮前の駅で、各駅停車の発車待ちをしていると、
乗車してくる女子高生の顔の、申し合わせたように、
面長な子の多いことに気付いて、不思議そうに周囲を見廻すと、
やはりこの辺りの女性は、面長な方が目立つのであった。
そのおもてを、歳相応に、
上手におしゃれに髪型でフォローされている様に感心する一方で、
雪見ダイフクのような、ぽっちゃりとした子の多い近頃の世の中にあって、
やはりこの辺りは、古代からの由緒正しき人々が、
脈々と暮らしているのだと思ったのである。
(丹生明神/「山岳信仰と高野山」のチラシより)
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そのルーツと云おうか、ヤマト葛城山から・・・、
弘法大師さまが、高野山を開創される折りに導かれたという、
地主神・丹生都比売(にうつひめ)明神のかくれ里天野郷から・・・、
みちを辿って高野山へ。
という思いは、募るばかりなのであるが、
今回は例によってイーズィーに、
壇上伽藍の根本大塔を仰いで、奥之院から大門へと、
ちゃらちゃら見学していたのだ。
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しかしどうしても、
あの地主神・丹生都比売(にうつひめ)明神のおもかげは消え去らない。
そう思うと足は既に、大門の脇のやまみちを歩き始めているのだった。
・・・せめて「女人堂」へのみちは、聖地高野山を囲む、
弁天岳(984m)を越えて、女人道を歩いて見よう。
・・・そうして落ち葉を踏み分けて、ひと気のない山路をゆくと、
山のほうからだれかが降って来る。
しかしどうして、ひとりこの山中を歩いているのであろうか。
そんな事を、ちらっと思って声を掛けてみた。
――こんにちは。
挨拶をすると、それはひとりの御婦人であった。
――この坂は、この先も続くのですか。
この辺りで戻ろうかと思っていたところなのです。
――ここまでいらしたのなら、先にお地蔵様がおります。
その先みちは緩やかですよ。
――そうですか。ありがとうございます。
と、その御婦人に励まされて、すれ違ったあとで、
御婦人のいでたちというか、足元とか気になって、
確めるように、振り向くと、
そこには、まったく人影などは無く、
ただ、朽ちた鳥居が並んでいるだけなのであった。
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こうして山を越えて、女人禁制の跡を辿った。
――そうか、これが女人堂か。
――もうし、女人はおるか・・・。
なんだ誰も居ないや。
なんてブツブツ言っているうちに、バスが来たので、
そのまま高野山を後にしたのである。
#■JOURNY