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湿原のはずれの短いトンネルを過ぎると、その駅はあった。
――根室本線古瀬駅。
駅というよりも停車場というほうがふさわしいこの駅に、
列車は一日に上下合わせて7本だけ停車する。
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地図を頼りに馬主来(パシュクル)沼手前で国道をそれ、
駅を目指して、湿原の深いわだちの旧道をノロノロと走ると、
エゾ鹿たちが飛び跳ねている。
しかし駅手前の峠道は「熊出没中」で閉鎖されていた。
それでしかたなく、道なりにヒョウタン状にぐるりと迂回して、
ようやくたどり着いたのである。
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なんのことはない。
近くの国道38号と交差する新道から来ればいいのであった。
ここは秘境でもなんでもない。
ただ、わたしのアプローチの仕方が、
いまどきでは間違っていただけなのである。
海岸線の穏やかな平原を走ってきた根室本線は、
馬主来沼の辺まで来て、
その先の急斜面を避けるように、湿原に沿って迂回する。
だから、なんでこんなところに駅があるのか。
なんて思う人は、そういう風景を眺める視点が欠落している。
鉄道ファンとしては、まず失格なのだ。
峠の古瀬駅は、地勢的にも、保線の為にも、
此処でなくてはならない場所なのである。
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そうは言っても、駅へ向かう坂道には、標識とかはまるで無く、
線路沿いの道も、人・クルマ共に近寄った形跡は無く、
雪解けの霜で擡げた地面が、
ふっくらとカステラ状に浮き上がっているのだ。
そうして、線路脇に辿り着いてみると、
改めて「なんだこれは」という、戸惑いを隠しきれない。
線路の砂利を無造作に踏んで歩かなくては、ホームへはゆけないのだ。
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ほころびのあるベニヤ合板を、みしみしと歩いてホームに立てば、
なんだ、駅は向こう側なのかと、反対方向に駅舎が見える。
しかしそれは、駅舎ではなく鍵の掛かった保線用の建物であった。
いやしかし、「現在位置」を確認すれば、ここは2番ホームなのである。
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時刻表の下の「ご案内」によれば、
音別駅営業時間外の列車の遅れ等云々とある。
――そうか駅にも「営業時間」があるのか。
7時20分~15時00分。きっちり労働時間に符合している。
――そうか民営化とは、そういう事なのか。と改めて思う。
――しかし電話を掛けるとしても・・・、そうかケータイ持参は前提なのか。
――そうだよな。悪天候とかで列車は遅れることもしばしばあるしな。
――しかし寒波の中・・・、
ここで来ない列車を待ち続けていたら、すぐに死んでしまうよな。
・・・そんなロクでもない思いがアタマを過ぎるが、
そういう事故も聞いた事は無いので、
世の中の人は、自分より、よほど真っ当なのだなあ、とか自問自答する。
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都会の駅ならば、雑踏の中をぐるぐると、
毎日毎日、もっと長い距離を歩き廻らされているはずなのに、
誰もいないこの駅の、2番ホームから1番ホームへの、線路脇を辿る道筋は、
風景も変わるものだから、それ自体が、なんだか「旅」を感じてしまう。
このように簡単に、この駅はいくらでもケチがつく。
そういうケチを見つけて、喜んでいる、自分の姿こそ、
馬鹿なクレーマーの下品な振る舞いなのではないか。
しかしそれ以前に、ここは自らの不明を恥じるのが、
ニッポン人の品格というものなのだろう。
――ここをいったい何処と心得る。
日本国であります。
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――そうなのだ。たしかに。
打ち捨てられた「標識」にもちゃんと記されているではないか。
この国の現代に遠く背を向けるように、
孤高ともいえる姿で、ひっそりとそこに存在する「FURUSE STATION」。
この駅は、いまの暮らしの中でほとんど必要とされていないのかもしれない。
おそらく利用者もほとんどいないのかもしれない。
だが勘違いしないほうがいい。
ただこの駅が、たまたま今風のものの見方や、
今の時代に寄り添っていないだけなのである。
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ちょうど15時34分発「芽室行き」の列車が1番ホームへ到着した。
無人のプラットホームも主役を得てにわかに輝きだした。
気動車も場所を得て、威風堂々たる佇まいである。
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――根室本線古瀬駅。
乗る人がいようがいまいが、
降りる人がいようがいまいが、
ひとびとの思いを乗せた気動車は、
きょうも定刻通りに、駅へやってくる。
#■Rail&Station