MENU

■根室本線古瀬駅にて



湿原のはずれの短いトンネルを過ぎると、その駅はあった。
――根室本線古瀬駅。
駅というよりも停車場というほうがふさわしいこの駅に、
列車は一日に上下合わせて7本だけ停車する。



地図を頼りに馬主来(パシュクル)沼手前で国道をそれ、
駅を目指して、湿原の深いわだちの旧道をノロノロと走ると、
エゾ鹿たちが飛び跳ねている。
しかし駅手前の峠道は「熊出没中」で閉鎖されていた。
それでしかたなく、道なりにヒョウタン状にぐるりと迂回して、
ようやくたどり着いたのである。



なんのことはない。
近くの国道38号と交差する新道から来ればいいのであった。
ここは秘境でもなんでもない。
ただ、わたしのアプローチの仕方が、
いまどきでは間違っていただけなのである。

海岸線の穏やかな平原を走ってきた根室本線は、
馬主来沼の辺まで来て、
その先の急斜面を避けるように、湿原に沿って迂回する。
だから、なんでこんなところに駅があるのか。
なんて思う人は、そういう風景を眺める視点が欠落している。
鉄道ファンとしては、まず失格なのだ。
峠の古瀬駅は、地勢的にも、保線の為にも、
此処でなくてはならない場所なのである。



そうは言っても、駅へ向かう坂道には、標識とかはまるで無く、
線路沿いの道も、人・クルマ共に近寄った形跡は無く、
雪解けの霜で擡げた地面が、
ふっくらとカステラ状に浮き上がっているのだ。
そうして、線路脇に辿り着いてみると、
改めて「なんだこれは」という、戸惑いを隠しきれない。

線路の砂利を無造作に踏んで歩かなくては、ホームへはゆけないのだ。



ほころびのあるベニヤ合板を、みしみしと歩いてホームに立てば、
なんだ、駅は向こう側なのかと、反対方向に駅舎が見える。
しかしそれは、駅舎ではなく鍵の掛かった保線用の建物であった。
いやしかし、「現在位置」を確認すれば、ここは2番ホームなのである。



時刻表の下の「ご案内」によれば、
音別駅営業時間外の列車の遅れ等云々とある。

――そうか駅にも「営業時間」があるのか。
7時20分~15時00分。きっちり労働時間に符合している。
――そうか民営化とは、そういう事なのか。と改めて思う。
――しかし電話を掛けるとしても・・・、そうかケータイ持参は前提なのか。
――そうだよな。悪天候とかで列車は遅れることもしばしばあるしな。
――しかし寒波の中・・・、
   ここで来ない列車を待ち続けていたら、すぐに死んでしまうよな。

・・・そんなロクでもない思いがアタマを過ぎるが、
そういう事故も聞いた事は無いので、
世の中の人は、自分より、よほど真っ当なのだなあ、とか自問自答する。



都会の駅ならば、雑踏の中をぐるぐると、
毎日毎日、もっと長い距離を歩き廻らされているはずなのに、
誰もいないこの駅の、2番ホームから1番ホームへの、線路脇を辿る道筋は、
風景も変わるものだから、それ自体が、なんだか「旅」を感じてしまう。

このように簡単に、この駅はいくらでもケチがつく。
そういうケチを見つけて、喜んでいる、自分の姿こそ、
馬鹿なクレーマーの下品な振る舞いなのではないか。

しかしそれ以前に、ここは自らの不明を恥じるのが、
ニッポン人の品格というものなのだろう。
――ここをいったい何処と心得る。
日本国であります。



――そうなのだ。たしかに。
打ち捨てられた「標識」にもちゃんと記されているではないか。
この国の現代に遠く背を向けるように、
孤高ともいえる姿で、ひっそりとそこに存在する「FURUSE STATION」。

この駅は、いまの暮らしの中でほとんど必要とされていないのかもしれない。
おそらく利用者もほとんどいないのかもしれない。
だが勘違いしないほうがいい。
ただこの駅が、たまたま今風のものの見方や、
今の時代に寄り添っていないだけなのである。



ちょうど15時34分発「芽室行き」の列車が1番ホームへ到着した。
無人のプラットホームも主役を得てにわかに輝きだした。
気動車も場所を得て、威風堂々たる佇まいである。



――根室本線古瀬駅。
乗る人がいようがいまいが、
降りる人がいようがいまいが、
ひとびとの思いを乗せた気動車は、
きょうも定刻通りに、駅へやってくる。

#■Rail&Station

この記事を書いた人