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右から、
ベンネヴェス、
ラフロイグ、
ハイランドパーク。

個人的な好みでは、
3Rのハイランドパークが断トツ一番。

話が代わって、

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「(終戦? 敗戦? 降伏?)記念日」の度に、
「悲惨さ」の再確認セレモニーのオンパレード。
 
「悲惨さの確認」は、
「悲惨ではない現状」の肯定につながる。
 
過去の「悲惨さ」は、
現在の平和状態に生きているDas Mannの安堵感に繋がる。
 
「可哀想ね、でも、今は違うから、よかったわよね」
 
過去の「悲惨さ」を想像し、
「共感すること(悲惨さを共有すること)」は、
大事なことであり、否定しない。
 
でも、
安全地帯からの批判は、
ただの批評に過ぎず、
問題を解決しない。
 
「悲惨さ」をもたらしてしまった原因やその責任の所在を問わないのは、
「悲惨さ」の再生産につながる。
 
 
戦争があるから、平和があるのか?
戦争が終われば、それでいいのか?
平和は、戦争の前触れなのか?
戦争は、平和のためにしているのか?
 
 
旨くないウイスキーが存在するから、
旨いウイスキーがあるのか?
 
旨くないウイスキーを製造してしまった原因は何なのか?
旨くないウイスキーを出荷・流通させてしまった原因は何なのか?
 
「旨くない」とは、どういうことなのか?
「好みでない」と、同義なのか?
客観的に「旨くない」ということはあり得ないのか?
 
平和な現状において、
旨いウイスキーが飲みたい(だけ)です。

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