駅でも交差点でも、街ゆく人々は一様に、
ケータイと睨めっこしているではないか。
――田舎から都会の雑踏へ出てくると、
人々の絵に描いたようなワンパターンのスタイルに、
改めて驚いてしまう。
立ち止まって、マユ寄せて集中している。
地下鉄の隣の女性は、親指くねくね指の速さ。
まるで編み物しているようで。すごいぜ。
あっ、トイレの入り口でも。すごいぜ。
ネットにゲームにブログにメールについったー・・・
便利なのは解るけど、
アナログオヤジとしては、情報の流れに乗れなくて、ドボンだな。
でもな、便利なのは解るけれど、
バーチャルな世界に、そこまでハマッテいいモノなのか。
これもある種の中毒ではないのか。
そういえば、みんなマスクしている・・・。
風の谷のナウシカみたいだ。すごいぜ。
――これは情報の囲い込みかもな。
そして繋がっているようで、個はますます、分断・孤立化してゆく。
或る意味、メディア・エンクロージャーなのだろう。
それは情報という名の「カネ」が一点に激流している姿でもある。
ケイタイ代。すごいぜ。
・・・なんて、ドボン・オヤジは訳知りに分析する。
――そういうアンタは落ちこぼれジャン。
という時代の強迫観念にでも憑かれているかの如く、
みなさまケータイ様とニラメッコしている。
まあひと昔前の、新聞や週刊誌を読むのと同じ事なのだろうが、でも違う。
いたるところで、あらゆる事がだから。
寸暇を惜しんで。すごいぜ。
WEB時代は知ろうとすれば処構わずいつでもどこでもアクセス出来る。
たしかに利便性は際限がない。
だからこそ、「情報」との付き合いは、
机に向った時位でケッコーなのではないか。
移動中までWEBに縛られることは、
ドボン・オヤジとしては、どうもなあ。
新幹線に乗っていても、目を開けていれば、
流れる文字NEWSやPRが視野を横切る。
あれ、じつに鬱陶しくて不愉快。
そこまで情報マゾになれない。
・・・スタンリー・キューブリックはすごいな。
なんて、ひとりつぶやいたりして・・・。
やっぱ、ニッポン人は勤勉なんだな。
でもそのパワー、他に費やしたら。すごいぜ。
そういえば、昔あったな芥川に、
「蜘蛛の糸」のカンダタ(犍陀多)・・・
やっぱ、古いか。
しかし、知っていたからって、何なのだ。
繋がっているからって、どうなのだ。
渦に巻き込まれると、
ほかの世界はかえって遠ざかってゆく。
それが情報のもつ危うさだ。
・・・まあ、そのうち草臥れちゃって、
そんなこと、どうでもいいって気付くかも。
・・・そういうバイヤーを、
近所の喫茶店の女性たちは、ケータイ片手に、
――あっ、世捨て人が来た。という。
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