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■みんなケータイと睨めっこ 


駅でも交差点でも、街ゆく人々は一様に、
ケータイと睨めっこしているではないか。

――田舎から都会の雑踏へ出てくると、
人々の絵に描いたようなワンパターンのスタイルに、
改めて驚いてしまう。

立ち止まって、マユ寄せて集中している。
地下鉄の隣の女性は、親指くねくね指の速さ。
まるで編み物しているようで。すごいぜ。
あっ、トイレの入り口でも。すごいぜ。

ネットにゲームにブログにメールについったー・・・
便利なのは解るけど、
アナログオヤジとしては、情報の流れに乗れなくて、ドボンだな。

でもな、便利なのは解るけれど、
バーチャルな世界に、そこまでハマッテいいモノなのか。
これもある種の中毒ではないのか。
そういえば、みんなマスクしている・・・。
風の谷のナウシカみたいだ。すごいぜ。

――これは情報の囲い込みかもな。
そして繋がっているようで、個はますます、分断・孤立化してゆく。
或る意味、メディア・エンクロージャーなのだろう。
それは情報という名の「カネ」が一点に激流している姿でもある。
ケイタイ代。すごいぜ。
・・・なんて、ドボン・オヤジは訳知りに分析する。

――そういうアンタは落ちこぼれジャン。
という時代の強迫観念にでも憑かれているかの如く、
みなさまケータイ様とニラメッコしている。
まあひと昔前の、新聞や週刊誌を読むのと同じ事なのだろうが、でも違う。
いたるところで、あらゆる事がだから。
寸暇を惜しんで。すごいぜ。

WEB時代は知ろうとすれば処構わずいつでもどこでもアクセス出来る。
たしかに利便性は際限がない。
だからこそ、「情報」との付き合いは、
机に向った時位でケッコーなのではないか。
移動中までWEBに縛られることは、
ドボン・オヤジとしては、どうもなあ。

新幹線に乗っていても、目を開けていれば、
流れる文字NEWSやPRが視野を横切る。
あれ、じつに鬱陶しくて不愉快。
そこまで情報マゾになれない。

・・・スタンリー・キューブリックはすごいな。
なんて、ひとりつぶやいたりして・・・。

やっぱ、ニッポン人は勤勉なんだな。
でもそのパワー、他に費やしたら。すごいぜ。

そういえば、昔あったな芥川に、
「蜘蛛の糸」のカンダタ(犍陀多)・・・
やっぱ、古いか。

しかし、知っていたからって、何なのだ。
繋がっているからって、どうなのだ。

渦に巻き込まれると、
ほかの世界はかえって遠ざかってゆく。
それが情報のもつ危うさだ。

・・・まあ、そのうち草臥れちゃって、
そんなこと、どうでもいいって気付くかも。

・・・そういうバイヤーを、
近所の喫茶店の女性たちは、ケータイ片手に、
――あっ、世捨て人が来た。という。

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