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宗教寺院というのは、人々を救う一方で、
カネ=権力と結びついて、おおきく退廃して、
人々の恨みも買って、幾度も火を放たれ、
その都度カネ集めをして復興してきたのであろう。
いまでは考えられないが、長い歴史の時間で見ると、
お寺は火事が多すぎる。
だから、銀閣寺にある「銀沙灘」を観た時には感動した。
これは、なんだかんだいっても「焼跡」そのものだ。
ここでカネを集めて、復興したところで、また燃やされてしまう。
そう思ったかどうか、だから砂を轢き詰めて・・・、
それが足利義政のコンセプトを受け継ぐものなら、足利義政はエライと思った。
ハコモノ=伽藍仏教に背を向けたのだ。
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そういう、ヨタ話はさておき、
・・・なんていっても、終わりまでヨタ話だけれど。
ヤマトではもっとも興味深い古寺である、
法隆寺とか當麻寺は、
なぜ此れほどまで人を引きつけるのか。
久しぶりに、
二上山の山懐に抱かれた葛城の里の當麻寺を訪ねたのだ。
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関裕二著『古代史謎解き紀行・ヤマト編』ポプラ社刊
を旅の手引きに。
・・・この本を手にヤマトの地を歩けば、
いにしえびとの声が、聞こえてくる。
隠された古代の秘密が、見えてくる。
と表紙にも書いてある。
《当麻寺と中将姫伝説の秘密》。
御蔭で、この本に導かれて、漠然とした疑問が、
ハッキリとした輪郭を持ち、そして風景が奥行きを帯びて来た。
しかし背景をなす二上山を、
「ふたかみやま」と呼ぶか、「にじょうざん」と呼ぶか、
自分は「にじょうざん」と言っていたので、
関氏が紀行文の冒頭で、
――(ちなみに、二上山を今は「にじょうざん」と呼ぶが、
こんな無粋な名前、どうにか元に戻せないものか・・・)
という一節を目にして、ギクッとなった。
そして、山を仰ぐたびに、にじょうざん。いや、ふたかみやまだ。
といい改めるものの、一度染み付いた記憶はそう簡単には直らない。
関氏の古代への思いは十二分に理解できるし、
げんに自分も関氏の紀行文に導かれて、こうして旅をしている。
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しかし、どうして自分は、「にじょうざん」と呼ぶようになったのか。
旅のあいだ中、その事が、サカナの小骨のように引っかかっていた。
帰って暫らくして、本棚の奥から、以前読んだ本にあたって見た。
小林秀雄「無常といふ事」・・・なんだか、いまとなっては思わせぶりだ。
――あっ、そうだ、謡曲『当麻』だ。
地謡――光さして、花降り異香薫じ、音楽の聲すなり。
恥かしや旅人よ暇申して帰る山の、
二上(にじょお)の嶽とは
二上(ふたがみ)の山とこそ人はいへど、
真はこの尼が上りし山なる故に、
尼上(にじょお)の嶽とは申すなり 老いの坂を上り、
上る雲に乗りてあがりけり紫雲に乗りてあがりけり。
(中入)
※注に、「二上の嶽」=二上山の事だといふが化尼の上った山だから、
尼上の嶽といふべきだとの故事つけである。
=謡曲全集巻六 野上豊一郎編より。
・・・そうか、そうだったのか。
600年前の世阿弥の時代も、
やはり今日と同じように二上山は、
「ふたかみやま」だ。「にじょうざん」だ。と言っていたのだ。
もっとも、謡曲の台本はつくりものだと言ってしまえばそれまでだけれど、
こういう、音読みと訓読みの使いこなしにこそ、
この国のひとびとの屈折した「美」意識が潜んでいるようにも思える。
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それはさておき、葛城山と二上山に抱かれた、
當麻寺には、いまもたしかに伝説が息づいている。
その伝説の根幹をなす行事が、
浄土信仰の「練供養会式」だ。
練供養会式とは、
物語やクスリにもなっている、伝説の中将姫が、
生身のまま成仏したサマを、
二十五菩薩の、極楽堂と娑婆堂への往来で再現するのだ。
(當麻寺パンフより引用)
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お寺のパンフレットには、
その「二十五菩薩来迎像」の写真が載っている。
手に手に楽器を持った菩薩たちが、
さまざまなスタイルで踊りの中に陶酔している。
菩薩たちは、なんとも美人揃いであり、なんともエロティックである。
この写真を観ただけで、一発で、このお寺が好きになった。
・・・そうか、そうだったのか。
妙なる楽の音に導かれて、
極楽浄土とは、やはり世の中の根本は、酒と女なのだ。
そういう、アタリマエのことを素直に受け入れて、
しかも涼やかに語り伝える事こそ、人間の品性というものなのだ。
しかし、西欧の主観論以降、酒=薬、女性からも、神性は失われてしまった。
そして品性無き者は、これを限りなく悪用する。それも歴史だ。
・・・そんな事を思えば、
このお寺が、こうして伝説につつまれて、
以後、燃やされることも無く、
永い年月を経て来る事が出来たことにも、至極納得がゆくのであった。
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それで、謡曲の『当麻』でいえば、
ここはあくまでも涼やかに、けっして熱くなってはいけない。
そうだよな。これはあつくなったらストリップショウだぜ。
そこは世阿弥元清氏も、重々承知で、
ひたすら濁り無く、涼しくを基調音に、乱れてはイケナイと諌めている。
そんな一節を、ニヤニヤしながら読んだわけだ。
――ただ頼め。
――頼めや、頼め。
――慈悲加佑、
――令心不乱に、
――乱るなよ。
――乱るなよ。
――十声も、
――、一声ぞ。ありがたや。
とクライマックスのシテの早舞へと導くのだ。
ついでにいえば、能『当麻』は、
三老女と云われる秘曲『檜垣』『姨捨』『関寺小町』
に次ぐ重い曲とされているのは、
中将姫の品位を、如何に気高く表現出来るかにかかっているからである。
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――ここは當麻寺奥院の奥の浄土庭園。
冬の装いのまえ、紅葉の中で、
ひと際鮮やかに、十月ザクラが満開なのであった。
#■JOURNY