MENU

■根室本線尺別駅周辺 



根室本線尺別駅。
ひと気のない駅の構内を、海からの風が通り抜ける。
ここ尺別原野は、明治以前から人々が住み着いていたという。
しかし、海に開けた原野は、農地には向いていないのであろう。


ホームの向うに広がる空間は、
失われた「尺別鉄道」尺別~尺別炭山線の名残である。
1920年の軽便鉄道に始まり、
1962年から1970年4月、突然炭鉱が廃坑となるまで、
ここは石炭の駅として賑わった。



駅の周囲の小さな集落は、潮風にさらされて朽ちてゆくままである。
破棄されて、そのまま地震とか、風雪で崩壊したのであろうか。
それは一瞬、災害現場へ迷い込んだのか、とも思える錯覚に襲われて、
こころが痛む。



しかし、此処にも、ひとびとの暮らしがある。
商店も、コンビニも、もちろん学校や病院も、公衆電話も、
つまり何もないけれど、
「駅」だけがある。
「駅」はひとびとの暮らしの、最後の砦だ。



原野の春を彩る一本の桜の木に誘われるように、
尺別炭山線の跡に沿って、プリウスは音も無く、走り出していた。



原野の酪農地帯を通り、川と道路に沿うように、
八幡前・新尺別・旭町・尺別炭山と続く、
10.8キロの尺別鉄道の痕跡を、
地図と以前紹介した、日本鉄道旅行地図帳北海道篇を見ながら、
探したりして楽しんだ。



しかし、人のいない穏やかで広大な原野は、
いまではヒグマの天国だ。行動には慎重さが必要だ。
しかもこの季節、山火事をもっとも恐れるので、
無用の立ち入りは厳禁なのだ。



道を横切る橋脚跡に遭遇すると、
「消えた市街地」の痕跡がいくつも目に付き始める。
ここでは、中からひとつだけ、
原野にぽつんと残るGS跡の写真をUPしておこう。



――炭鉱の閉山。
それは一夜にして、人々の暮らしばかりか、
その産業で成り立つ街のすべてを奪い去る。
60年代後半からのエネルギー政策の転換で、
こうして多くの街が消えていったのであろう。



道路沿いの歩道にもその痕跡が見て取れる。
歩く人もいないアスファルトの歩道は、
いったいどのくらいの時間をかけて、
このようなコケのはびこる姿になるのだろうか。
おもわずクルマを降りて観察をはじめてしまった。



消え去ったのは人々ばかりではない。
ゆく川の流れも絶えて、川からも水の流れは消えてしまった。
堆積した土砂が不気味に川床を覆っているのは、
人々の流れとはまったく無関係だろうが、
ともかく何かを暗示するような奇妙な光景である。



そんな事をしているうちに、
いつの間にか、
山あいの広い草原に引き込まれるように立っていた。
おそらくいま、この周囲数キロには誰もいないであろう。
ならばその薮陰に潜むヒグマといつ遭遇しても不思議ではない。
念のためクラクションで、短く二度合図して、周囲の林を点検すると、
いくつもサッカー場が収まりそうなこの広大な空間が、
動物除けのフェンスに取り囲まれている事がわかった。
ますます、妖しい。と思う束の間、
広場の片隅でコンクリートの廃墟が目に飛び込んできた。
・・・そうか、ここは以前炭鉱で働く人々の団地であったのだ。



建物へ近づくと、なにやら妖しげな気配が漂っている。
誰もいないはずなのに、
辺りは静寂の賑わいとでも云ったものに包まれている。
あれ、二階の窓から誰かがこちらを見ている。
ああ、おばあさんだ。
ほら、二階右手の窓。
きっと亡霊に違いない。
よく写真を観ればわかるが、
二階右手の窓からこちらを見ているおばあさんは枯れ薄の穂なのだが、
しかし、わたしにはどう観ても「おばあさん」に見えてしまう。
亡霊とはそういうものだ。

――こんにちは。ちょっとおじゃまいたします。
わたしは、ちゃんと亡霊たちに挨拶をした。
すると、建物のあちらこちらの窓に、
なんとも不思議な気配が漂い始めるのであった。



例えばエントツ左の窓の中から、ぼんやりとこちらを見ているもの・・・。
さらに驚くべきさまを、写真は映し出していたが、
いや、ここではUPすることは差し控えようと思う。
・・・・・


一斉に芽吹く木々の若葉に光が降り注ぎ、
そよ吹く風にきらきらと輝いている。
静かである。
鳥たちのさえずりのどこかで、トントントンと低い音が聞こえる。
なんだろうと一瞬立ち止まると、
・・・なんのことはない。
それは草原を歩き廻った自分の、心臓の鼓動なのであった。



――根室本線尺別駅。
乗る人がいようがいまいが、
降りる人がいようがいまいが、
ひとびとの思いを乗せた気動車は、
きょうも定刻通りに、駅へやってくる。

#■Rail&Station

この記事を書いた人