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■何の写真か判りますか?


――これ、何の写真かわかります?
――はい。あやしげな二人は××さんと××さんじゃないの。
――ブー。違います。
――はい。それでは××の二人です。
――ブー。違います。
――・・・何だろう。
――はい。これは「鉄道」の廃線跡の林なのです。
――なあんだ。つまらないの・・・。

・・・という訳で、「鉄路」は失われたけれど、
自然の林がその痕跡をいまに留めています。

世界的なリセッションの中、
「鉄道」への郷愁をきっかけに、
地域をいま一度見直そうという機運が高まっております。

北海道でいえば開拓と共に、山を越え、谷を超えて、
多くの鉄道が敷設されました。
しかし輸送手段と産業構造の変化、つまり合理化に伴い、
そのほとんどは、いまでは消失されてしまいました。
そしていま、グローバリゼイションの背景で、
地域の公共交通の喪失は、
そのまま地域の存亡をも脅かす現実に人々は気づき始めました。

そういう時代の中で、
当時を再現する鉄道マップが刊行されて、ベストセラーとなっております。
それが、新潮「旅」ムックの『日本鉄道地図帳』。

この本の、北海道「廃線鉄道地図」を眺めれば、
馬から簡易軌道・鉄道網へ、そして道路整備・自動車へという、
殖民と地域発展の「変化」の推移を垣間見る事が出来ます。
それにしても、当時の開拓パワーは、
その線路網が、いまでいう都心部の地下鉄路線図のように、
縦横に張り巡らされていた事でも分かります。

昨日は「クロ」。今日は「シロ」。と時代の要請に沿って、
「発展」という神話のもとに、人々は変化を受け容れてきたのでしょう。
そして成長の限界が露呈して、シフト変換を迫られるいま、
失われたモノへの思いは、
旅人の身勝手な「感傷」に過ぎないものかもしれません。
しかし一方で、この国を長期的な視点に立ってデザインする、
「プランナー」の不在をも、失われた鉄路は物語ってもいるのです。


                       (写真の地図は糠平鉄道記念館にて)

#■BOOK

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