ハイドンのオラトリオ《四季》を久しぶりに聴いた。
カール・ベーム=ウイーン交響楽団演奏の名盤。
ソプラノ=グンドゥラ・ヤノヴィッツ
テノール=ペーター・シュライアー
バス=マルッティ・タルヴェラ
ウイーン楽友協会合唱団
来い、のどかな春よ!
天の恵みの春よ、来い!
自然を死の眠りから
目覚めさせておくれ!
のどかな春が近づいてきます。
おだやかな春の息吹が、もう感じられます。
もうすぐ、すべてのものがよみがえるのです。
・・・・・・・・・・・・
――10年ほど前の復活祭。
バイヤーはウイーンのコンツエルトハウスで《四季》を聴いた。
あたらしい「春」を実感しながら聴く《四季》は、
復活祭にぴったりのプログラムだった。
いま、あらためて聴く、ハイドンの《四季》は、
どこかで聴いたような主題の懐かしさと、
世俗的な人間賛歌の喜びにあふれる二時間だ。
・・・自然を恐れ、自然を敬い、
・・・自然を賛美し、自然を愛する。
人々は自然の中に調和して、
あのブリューゲル絵画に描かれた日常を思い起こすように、
四季の祝祭のなかで、
自然と一体となったシンフォニーを奏でているのだ。
《四季》がウイーンで初演されたのは1801年。
産業革命1770や、フランス革命1789を経て今日に至る、
世界の西欧化へむけて、時代は大きく転換し始めた頃だ。
そうしてたどり着いた今日。
豊かさと便利さに囲まれた暮らしを得たのだが、
その追求は、いっぽうで、
人との連帯や、自然との調和を、遠ざけて来たかにも思える。
バッハやハイドンの音楽を、たまに聴くたびに感じる事は、
今日失われてしまった「調和」への渇望なのだ。
――ザルツブルグでモーツアルトの生家を訪ね、
店先のウインドウに溢れるイースターエッグに見とれ、
「サウンド・オブ・ミュージック」半日ツアーのバスに乗り、
残雪のアルプスの村々を巡ったりして、
5日ぶりに戻ったウイーンの街は、
木々の梢も若葉が芽吹き、
冬から春へ、風景は一変していた。
#■MUSIC