右から、
ベンネヴェス、
ラフロイグ、
ハイランドパーク。
個人的な好みでは、
3Rのハイランドパークが断トツ一番。
話が代わって、
8/15
「(終戦? 敗戦? 降伏?)記念日」の度に、
「悲惨さ」の再確認セレモニーのオンパレード。
「悲惨さの確認」は、
「悲惨ではない現状」の肯定につながる。
過去の「悲惨さ」は、
現在の平和状態に生きているDas Mannの安堵感に繋がる。
「可哀想ね、でも、今は違うから、よかったわよね」
過去の「悲惨さ」を想像し、
「共感すること(悲惨さを共有すること)」は、
大事なことであり、否定しない。
でも、
安全地帯からの批判は、
ただの批評に過ぎず、
問題を解決しない。
「悲惨さ」をもたらしてしまった原因やその責任の所在を問わないのは、
「悲惨さ」の再生産につながる。
戦争があるから、平和があるのか?
戦争が終われば、それでいいのか?
平和は、戦争の前触れなのか?
戦争は、平和のためにしているのか?
旨くないウイスキーが存在するから、
旨いウイスキーがあるのか?
旨くないウイスキーを製造してしまった原因は何なのか?
旨くないウイスキーを出荷・流通させてしまった原因は何なのか?
「旨くない」とは、どういうことなのか?
「好みでない」と、同義なのか?
客観的に「旨くない」ということはあり得ないのか?
平和な現状において、
旨いウイスキーが飲みたい(だけ)です。