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アメリカン・ウイスキーの歴史 8

 
 
 憲法修正案第18条の第2節がわずか17の単語で綴られていたのに対して、執行法にあたるヴォルステッド法は25ページ以上にわたって詳細に記されています。大別して3章に分かれ、第1章はすでに立法化されていた戦時禁酒法、第3章は工業用のアルコールに関しての条項で、それぞれ7項目と21項目が割かれています。全米禁酒法の要旨、飲用アルコールに言及している第2章は39項目で、全体の半分近い12ページを占めています。

 第2章では、まず、第1項でヴォルステッド法が適用される酒類を定義しています。具体的には、ブランデー、ウイスキー、ラム、ジン、ビール、エール、ポーター、そしてワインです(いまでこそアメリカでもっともよく飲まれているスピリッツのウォッカも、このころはほとんど知られておらず、ここには挙げられていない。テキーラも同様)。
 さらに、アルコール度数が0.5パーセント以上の飲料、加工品もすべて酒類と見なされました。当時の技術では0.5パーセント未満のアルコール成分は計測できなかったのが理由によるしきい値です。
 ほかに、第4項と第37項で、アルコールを含むエキス、シロップが使用されている医薬品、薬品、食品(醸造酢、ジャム用に加糖したリンゴジュース)と、製造過程におけるアルコール度数の取り扱いが規定されています。
 
 第1項以下の全文を列記しても大して意味はないので(法律文は訳すのが面倒)、禁酒法の施行直前にニューヨークの新聞が読者に分かりやすく解説した、You may と You cannot で始まる箇条書きを参照しておきましょう(第2章の各項目とは一致しない)。
 
 ① あなたは、自宅に招いた相手が本当の客なら、酒を提供できる。
 ② あなたは、医師による正式な処方箋があれば、10日ごとに1パイントの酒を購入できる。
 ③ あなたは、酒を保管する場所について熟考する必要がある。複数の住居を所有している場合は、それぞれに保管できる。
 ④ あなたは、あなた自身、家族、本当の客に提供する限り、複数の貯蔵室、クラブの賃冷蔵庫に酒を保管できる。
 ⑤ あなたは、転居するさい、酒を運ぶ許可を得ることができる。
 ⑥ あなたは、非飲用、もしくは聖餐用の酒であれば、製造、販売、運搬の許可を得ることができる。
 ⑦ あなたは、ヒップフラスクを所持できない。
 ⑧ あなたは、瓶入りの酒を贈り物として授受できない。
 ⑨ あなたは、ホテル、レストラン、公共の食堂で飲酒できない。
 ⑩ あなたは、自家醸造、蒸留用の製法やレシピの購入、販売はできない。
 ⑪ あなたは、飲用の酒を輸送、配達できない。
 ⑫ あなたは、自宅以外の場所で酒を供給できない。
 ⑬ あなたは、アルコール度数が0.5パーセント以上の飲料を自家醸造、蒸留できない。
 ⑭ あなたは、自分の土地に酒の看板や広告を立てることはできない。
 ⑮ あなたは、酒の在庫を他所に移すことはできない。

 
 全米禁酒法はいっさいの飲酒を禁じていたと思われがちですが、酒類の製造、販売、運搬を規制していただけで、飲酒それ自体については認められていたのです。ASLの運動目標が酒場の根絶であり、また、反禁酒派との妥協の結果でした。しかし、消費者を罰しにくい法律だったことが、「狂騒の20年代」をいっそう騒々しくする原因となります。
 
 上記の項目をいくつか補足しますと、①は、営利目的での酒の提供を禁じ、②は、アルコールは適量ならアルコール依存症、神経症や消化器系の疾患に効能があるとされ、治療が目的での飲用は認めたものです。ところが、施行後にアルコール依存症を訴える者が続出し、服用量に上限のなかったビールの消費が急増したため、1921年にビールもスピリッツと同じく1パイントまでに制限されました。それでも、年間に1100万枚もの処方箋が乱発され、酒しか置いていない薬局まで現れる始末でした。 

 ③と④は、施行前に購入した酒なら、何ケースでもストックしてよいということです。自宅に保管する酒は届出する義務がなく、それ以外の場所でも、いったん届出すれば定期的な在庫の調査はなされず、不正が蔓延しました。
 ⑥は、牧師、神父、ラビといった聖職者に限って許可されました。特権が悪用されるのは世の常で、寄付を建前に教区員の買収が横行します。 

 さて、ヴォルステッド法は、下院に続いて12月28日に上院を通過後、ウッドロー・ウィルソン大統領が第1章の内容に異議を唱え、拒否権を行使する小さな波乱はあったものの、ふたたび上下院で可決され、翌日には成立しました。そして、翌年の1920年1月17日午前0時をもって、全米禁酒法は発効します。

 国民は総じて平静でした。都市部を除いて少なくとも半数は禁酒法を支持していましたし(州議会決議より州民投票で禁酒法を定めた州のほうが多かった)、すでに多くの州が禁酒法を布いていたからです。愛飲家もそれなりの備えを済ませていました。
 むしろ、政府の側に足並みの乱れが生じました。ヴォルステッド法の執行機関として、財務省の国内歳入局に管轄権が与えられたものの、反禁酒派のサボタージュが予想されるなかで、職務の遂行は難しいと財務長官が辞任するなど、早くも前途を危ぶむ声が上がっていました。その不安は、まもなく現実のものとなっていきます。
 
 今回はちょっと短いけれど以上です。来週は、禁酒法下のアメリカ社会の様子と、余裕があれば、ほかのウイスキー生産国に与えた影響について取り上げます。

 

#アメリカン・ウイスキーの歴史と製法

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