英国のパブの誕生説にはふたとおりあって、ひとつは聖堂を訪れる巡礼者のために、修道院が簡単な食事を提供し始めたという説と、農家の主婦がビールをたくさん造って、村人や旅人相手に商売として始めたという説である。
いずれにしても、パブ=パブリックハウスは、「英国のどんなカントリーに行っても、教会とパブのない村はない」と言われるほど、地域に密着した重要な社交場であり、その村の縮図である。シャーロックホームズだって、事件解決のために情報収集するときは、飲んだくれに扮装してパブに出向くのである。
今晩のわたしたちは、簡単な夕食を取るためにパブに出向かなければならない。
パークレーンゲストハウスのオーナーミシェルは、パース市内の地図を取り出し、お薦めのパブ4ケ所に『×』印を付けてくれた。いづれもゲストハウスから徒歩で10分以内で行ける範囲だ。
その地図を検証すると『A9』はバイパスの役目をしていて、一路『A912』に入ってしまえば、市内は、じつはかなりコンパクトであることが解る。駅だってゲストハウスから徒歩5分と離れていない。市内の北側にはタイ川が流れており、そこでひと区切りだから、賑やかな界隈は1K㎡といったところである。
わたしたちは町の散策をかね、いちばん遠くに付けられた『×』印のパブを訪れた。
ところでスコットランドとはいえ、パブでの定番はビール。誰もが、贔屓の銘柄をパイントグラス(約570ml。日本の大ジョッキサイズ)でオーダーする。体格のいい彼らのことだから、それを豪快に飲み干すのかとおもいきや、たっぷりと時間をかけ、ゆっくりと飲み干してゆく。
わたしは『OLD SPECKLED HEN』という銘柄の、たっぷりとコクがあって麦の甘さが感じられるテイストが気に入ったのだが、バーマン曰く
「マダム。これは一番ビターなテイストね」とのこと。
それは、我が青春を走馬灯のようにフラッシュバックさせ、胸の片隅にチクンチクンと痛みを与えるコメントであった。
(そうね。そういえば・・・二十歳の頃のビールはたしかに苦かった・・・)
パブにはいろいろと魅惑的なメニュウがあるけれど、ここはシーフードが美味しいパブだとミシェルが言ってたはずである。
メニュウに「スカンピ」をみつけて、わたしたちは東麻布のサルヴァトーレで供出されるようなものを想像した。スカンピ独特の、小さくて優雅なVサインの手はそのままに、半身に捌いて新鮮さとエビの甘味を生かし、さっとグリルにしたような一皿を。
しかし・・・しかしそうだった。ここはサルヴァトーレでもなければ、陽気なイタリアでもなかったのだ。
出てきたものは、エビのミンチをパン粉でこねてひとくち大に丸めたフライというか、コロッケというか、、、。
はっきり言って素材が台無しである。まったくもってぶにょぶにょのウインナーを好んで食べている英国人が考えつきそうなものだ。
付け合せにはこれでもかというほどの大量のグリーンピースとポテトチップス。
わたしが通常一年間で摂取するグリンピースの量を一度の食事でクリアーである。大当たりのパチンコ台を想像してしまったのだから、あなたにもその量たるや、想像がつくことと想う。
スカンピとグリンピースには何の罪もないけれど、わたしたちは、どうも不発な心持ちだったので、どちらからともなく
「次に行こうか・・・」というのは自然な流れであった。
わたしたちは、ビールのネオンサインに飾られた若者の溜まり場ではなく、鄙びた場末の囲碁場のような、できるだけクラシカルな、ほんもののパブに出会いたかった。
そしてそれは、「OLD HIGH ST(オールド・ハイ・ストリート)」の小さな広場近くにあった。
客の大半は隠居生活に入ったと見受けられる大御所ばかり。BGMなど無く、彼等のしわがれ声と咳払いが高い天井にこだまする。革張りのスツールとカウンターは飴色に輝いている。
ふらっとやってきて、カウンターに寄りかかりお小遣いをねだるハイ・ティーンの孫娘に、カウンターの老紳士が、新聞をたたみながら質問した。
「いったい、何処に行くんだい?」
「何処だって、いーじゃない」
「それじゃあ、お小遣いはやれないな」スツールを回転させて、カウンターに向き直る。
「えーっ、おじいちゃん、お願い。ねっ」飛び切りの笑顔をつくって、彼女のおねだりは続く。
「いやいや、そんな訳にはいかないよ。お小遣いが欲しいのなら、君には説明する義務がある」
そこへ、友達が彼女を迎えに現れた。
「お小遣いはやれないが、ビールを一杯ずつなら奢(おご)るがね(ウインク)」
未成年の彼女達は、ブーイングを残して立ち去った。それから彼は、わたしたちにもウインクを投げてよこし、パイントをオーダーしたのだった。
むむむむむ。なるほど。やはり、人生の多くの答えはパブにあるようだ。