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EDRADOUR

  細い農道がゆるやかにカーブした下り坂の、谷というよりは窪地に、エドラダワー蒸留所はあった。スコットランド最小の蒸留所なので、訪れる人も少ないであろうとの予想とはうらはらに、大型観光バスが何台も駐車してある。
 レセプションセンターでは、ドイツからの御婦人方御一行をはじめ(婦人会という感じ)、 フランス人やスペイン人のカップルが多く目につく。
 見学ツアーでは、 キャンピングカーで夏のヴァカンスを楽しんでいるという、ドイツ人ファミリーと一緒になった。運転疲れをほぐそうと、良さんが首をコキコキしていると、日本だったら小学3年生くらいの少年が、恐る恐る、しかし、好奇心をたたえた瞳で声をかけてきた。
「ねぇ、もしかして、お兄さんはブルースリー?」
たいていの中肉中背の東洋人男性は、海外に出ると、この質問を受けているはずである。
「アチョー!」と、ポーズのひとつやふたつとってやると、少年たちは、バナナを与えた猿みたいに、飛び上がって喜ぶのであった。

 エドラダワーの蒸留スタッフは、たったの3人で、これは1825年の創業以来守られている決まりなのだそうだ。もともとは農民たちが趣味でつくりはじめただけということで、すべてにおいてこじんまりしているし、作業そのものを楽しむ意味もあるのか、未だに器械に頼る部分はきわめて少ない。糟の排出作業などはそのいい例で、いまもってシャベルで掻き出し、リヤカーで運搬しているという。
 アンデルセンの童話の中に出でくるような、白い壁に赤いドアの小さくて可愛らしい建物は、そのドアが開いて赤ずきんちゃんがひょっこりあらわれても不思議はないほどである。
 もちろん生産量も最小で、一週間でわずか15樽のウヰスキーしか製造できないとのこと。通常の蒸留所だと600樽くらいなので、いかに小規模なのか、なんとなく察しがつく。
 ティスティングは『エドラダワー 10years』、「ザ・グレンリヴット」や「ザ・マッカラン」から、自己を確立した40~50歳代の熟年男性をイメージするわたしとしては、『エドラダワー 10years』は寄宿学校に入れられている、10代後半の少年を想い浮かべることが出来る。まだ何者にも成り得てない、そして何者にも成る可能性を秘めた、初々しい味わいである。年数を重ねたものを試してみたかったけれど、希少価値のせいか、ショップでも入手は出来なかった。
 
 しかし、ショウウィンドウの片隅に、展示物なのか売り物なのか、判断つきかねる代物があった。箱には『THE scotch WHISKY trail GAME(ザ・スコッチ・ウヰスキー・トレイル・ゲーム)』とあり、プライスの表示はあるが、埃っぽいし、色褪せてはいるし、他の商品のように、数多く綺麗に並べてあるわけでもない。まじまじと眺めているわたしたちの意を汲んで、ショップのスタッフが説明をしてくれた。
「その商品は、何年か前にいちど作ってみたんだけど、まあ、よっぽどの物好きしか買っていかないもんだからね。ヒットしなかったんだよ。だから、いまはもう作っていない。あれは最後のひとつだから飾ってあるだけさ」
 良さんとしてはお目当てのウヰスキーボトルが購入出来ず、うっぷんを感じていたのであろう。この話にとっさに目標を変更した。
「僕はスコッチウヰスキーを愛してやまない日本人です。バッカスに導かれて、はるばる日本からやってきました。日本を知っていますか?そうです、一番東の端っこの国です。そんな僕のために、この最後のひとつは神様が残しておいてくれたのです。現物でかまいません。どうかこの物好きに、ゲームを譲ってくださいませんか?」
「いや、こんなぼろぼろの商品に、値段をつけて売るわけにはいかないな。本当にもう在庫は無かったはずだが、そこまで言われるなら、念のため倉庫を見て来よう」
 10分後、彼はスコッツ独特の赤ら顔を、さらに紅潮させて戻って来た。
「なんと!なんと!退職した者のロッカーに、ひとつだけ…。本当にこれが最後だ。君は実にラッキーだよ(ウインク)。君には、確かにバッカスがついているようだな」
 齋藤君。さすがの齋藤君でも、このゲームは持っているまい。
 いわいる『すごろく』で、ボードにはスコットランドの地図とディストラリーが描いてある。まずはトランプのようなカードを引いて、クイズに答えるもので、そこには、正解した時、外れた時、それぞれの指示も書いてある。「MOVE BACK TWO(ふたつ戻る)」 「GO TO DISTILLERY(ディストラリーへ)」「TAKE A BOTTLE(ボトル獲得)」などがあって、はやく12本のウヰスキーを獲得した人が勝ちとなる。

 さあて、目的は達成された。ピトロッホリーの町に戻ろう、良さま。

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