ストラスアイラをあとにして、Dufftown(ダフタウン)から『B9009』を10マイル南下、エイボン川とリベット川が合流するあたりに出ると、目の前が開け『THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)』が正面にあらわれた。宿泊先は、そのザ・グレンリベットの隣りにある。もう、敷地の一部と言っていいほどである。だって、ザ・グレンリベットを訪れる以外の、どんな理由があって、誰が『Minmore(ミンモア)』にわざわざ来るというのか。
『ミンモアハウス』http://www.minmorehousehotel.com/japanese.htmを選択したのは、観光案内のコメントに、「ザ・グレンリベットは、ここから徒歩2分です。素晴らしいスコティッシュ料理と、(当時は)100を超えるモルトウヰスキーが、貴方をお待ちしております」とあったからで、それを裏付けるように、『THE TASTE OF SCOTLAND』http://www.taste-of-scotland.com/にエントリーされていたからである。イギリスの食事は常に「美味しくないもの」の引き合いに出されるが、『THE TASE OF SCOTLAND』マークは、ミュシュランの星のようなもので、美味しい食事にありつけることが、それなりに保証されているのだ。
芝生のとぎれた玉砂利の一角に車を寄せると、Lynne Janssen(リン・ジャンセン)が、ミンモアハウスのドアから顔を覗かせた。リンは、久しぶりにカントリーに帰省した姪夫婦を迎える、親戚の叔母さんのような親密さで、わたしたちを出迎えた。いつ日本を発ってきたんだとか、飛行機でどれぐらいかかったのかとか、さあさあ、早く荷物を部屋にあげて、お茶でも飲みなさいとか言ってくる。
その時、弾のような勢いで、一匹の犬がリンの足元にかけ寄った。
「まぁ、ベンジン。おかえり。この子はベンジンよ。よろしくね。この子はねぇ、ウサギ狩りが趣味でね、姿が見えないときは、たいていウサギを追いかけてるのよ。ねぇ、ベンジン」
白地に茶と黒のまだら模様の猟犬ベンジンは、頭を撫でられて「そう。そう」とうなづいた。
さて、荷物を降ろすために、良さんが車を移動させ始めると、ベンジンは「動くもの」に素早く反応し、特攻する、猟犬ならではの性格でもって、メタリックスカイブルーの車に興味を持ってしまった。
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(リン叔母さんのベンジンを轢いてしまうようなことは、決して、あってはならない!『百害あって一利なし』である)わたしはベンジンの気を引こうと、とっさに、細長い布を振り回した。ベンジンの注意がそれ、ちらっとこちらを見たのと、自分が振り回していたものが何であるかに、ハッと気づいたのとは、まさに同時であった。が、わたしがそれを引っ込めるよりも、ベンジンの瞬発力のほうがはるかに上回っていた。
(うーん、さすが、犬である)と感心している場合ではない。
(うわぁっ。やっばい!)
恥ずかしながら、心の声は言葉遣いになど気を配る余裕など無く、そう叫んでいた。なぜならば、その細長い鮮明な芥子色の布は、良さんが大切に、大切にしている『カシミアのマフラー』だったのだから・・・。ベンジンは「ガジッ」とマフラーに喰らいつき、「やったぜ、ベイビー。俺って天才!」というふうに目をぐりぐりさせ、鼻をひくひくさせ、しっぽがちぎれんばかりにブラボーしている。マフラーの行方を案ずると、わたしはここでベンジンと綱引きをするのは得策ではないと判断した。もしかしたら、わたしがマフラーから手を放したら、動かなくなった布に興味を失って「やーめた。ぱふ」と、ベンジンも身を引くかもしれない。
けれどもそこには、別の考えと、人格を持ったリン叔母さんがいた。リン叔母さんはきっとこう考えていたはずである。
「あぁ、ベンジンったら、なんてことしてるのだろう。お客様のカシミアのマフラーに、万が一のことがあったらなら、『百害あって、一利なし』じゃないの」
そして、やおらマフラーの端をつかんでひっぱったが、そこはベンジン。身をかわして、マフラーをくわえたまま走り出した。
「ベンジン。こら、ベンジン。それは、あなたの好きな『うさちゃん』とは違うのよ。放しなさい。(わたしにむかって)ああいうふわふわしたの、大好きなのよ。困っちゃうわね。ベンジン!ベーンジーン!!ベンジンッ!!!もう、このバカ犬!」
女性二人に追い立てられ、罵られ、誰も手柄を誉めてくれないので、途方に暮れ始めたベンジンだったが、やっとのこと車を止め、運転席のドアを開いた良さんの姿をみつけ、ひらめいたのであろう。
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(この、栄光をわかってくれるのは、このひとしかいない!)と。目に光が戻り、くわえたマフラーをはためかせ、ベンジンは運転席の隙間から助手席に廻りこみ、良さんにむかって、自分が捕らえた素晴らしい歯ざわりの、ふわふわした獲物『良さんのカシミアのマフラー』を、掲げ献じた。ハムレットの心境は誰にでも宿る。カシミアのマフラーを「がしがし」して、よだれまみれにしたことを叱るべきか、猟犬の自尊心を慮って(おもんばかって)、よくやったと、誉め称えるべきか・・・、しかし、良さんはどちらも選択できず、「くぅぅぅ」とうめき、身悶えながら、分析タイムを取ったのであった。
いずれにしろベンジンは、任務完了という感じで胸を張り、大威張りで車から降りた。マフラーは、良さんの膝の上で「くたっ」、「よろっ」、「べとっ」、とはしているが、とにかく良さんの手元には戻ったわけである。
(あぁ。ごめんね。良さん)