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IN LOVING MEMORY 

  2日間のウヰスキーづくり体験終了後、山地工場長のご好意により、竹鶴政孝とリタ夫妻の墓参りをさせて頂けることとなった。希望者8名で車を連ね、美園の丘へ向う。
 山地氏は関西出身、家族を千葉県に残しての単身赴任である。
 「リタさんはイギリスから、竹鶴についてきたとゆうのにですね。私の妻は、千葉から、ようついてきてくれません」笑い飛ばした毒舌の中に、ちょっぴりの哀愁が漂う。
 なれた足取りで、急な斜面をスッ、スッと上って行く氏の手には、昨年の秋に新発売されたウヰスキー、あの『竹鶴』の瓶が握られていた。

 墓地の一角、余市町に向かって、バルコニーのように突き出した場所に、彼等が眠る墓碑が立っていた。 『竹鶴』を満たしたグラスを、氏が墓前に供すと、白い御影石に琥珀色の影が揺れた。氏は何を想い、何を報告し、何を語ったのか。その背中には、ウヰスキー造りを受け継いだ者の静かな決意が読み取れた。彼もまた「ウヰスキー」に見い出された男である。氏の後ろで手を合わせたわたしたちは、感涙し、咽び(むせび)泣くしかなかった。

 ウヰスキーを主題にした書物を読んで得た、さまざまなエピソードがわたしの内部でリンクし、絡み合い、融合した。ひとつのストーリーの結実を、いまここで目の当たり(まのあたり)にした気持ちになった。2人の代わりに、すくっと立つ墓碑は、愛の記憶を秘めて、なおも夢の行方を見守り続けているのだ。

 『IN LOVING MEMORY OF RITA TAKETSURU
                  MASATAKA TAKETSURU』

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