グラスに注いで直後のノーズは、
ほとんど区別がつきません。
ところが、ほんの少し時間が経過(約30秒ほど経過)しただけで、
その違いは歴然です。
ノーズについて、
ファークラスは
黒糖、ベリージャム、樽香です。
樽香は
時間の経過とともに
「前面に出て」来ます。
宮城峡は、
時間の経過とともに、
サルファリー感が強くなった分、
度数が60%と高い割には
刺すような感じが後退しています。
ミドルについて、
ファークラスは、
ベリージャムのような甘さ、
ウッディネスを伴うタンニンの渋味、
そして酸味も感じられる。
宮城峡は、
口の中でサルファリーが横に広がる感じが強く、
その意味で存在感があります。
余韻について、
ファークラスは、「強い麦感」があります。
宮城峡は、返しでより一層サルファリー感が強くなります。
これまで、個人的好みは宮城峡の方だったのですが、
今日の比較テイスティングは、ファークラスも悪くないです。
この可変性が、
シングルモルトの奥深さだとも思います。
日によって、
それこそ、
同じ日でも時間によって(一杯目と二杯目で)、
味わいが異なりますw
で、
言語表現の話ですが、
「ど」について、
国語辞典では、
1.まさにそれに相当するものであることを強調する。「―真ん中」「―ぎつい」2.ののしり卑しめる意をより強く表す。
とあります。
1の意味であれば、中立的な接頭語ですが。
2の意味であれば、否定的は接頭語になります。
「ど演歌」「どマクロ」「どシェリー」
演歌とフォークソングの区別は紙一重だということは、
岡本おさみ/吉田拓郎の「襟裳岬」で初めて実証されたことであり
今更議論の余地はないでしょうw.
どマクロとは、
ケインズ経済学あるいはケインジアンの経済学という意味で、
「新しい古典派」経済学の人達が、
嘲笑的に使用する表現です。
僕から見ると、
チャンチャラ可笑しい、ってな感じです。
で、どシェリーという表現なのですが、
僕は否定的に使っているつもりはないです。
でも、もしこの「ど」を、
辞書の2の意味で使っているととらえる人がいるのであれば、
この表現を止めた方が良いのかなと思っています。
「濃厚なシェリー」?
拓郎の「ペニーレインでバーボン」で使用されている
●桟敷は、
僕のPCの辞書では、
関係者でありながら情報や事情などを知らされないこと、
と説明されています。
「由らしむべし知らしむべからず」
2006年の嬬恋コンサートで
拓郎は、
蚊帳の外、
と言う表現に代えています。
拓郎の胸中や如何に!
ファークラスと宮城峡。
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