12月27日(土)はニッカブレンダーズバーでの忘年会。午後5時にニッカフリークが集まって、心行くまでニッカを味わっていった。
僕はニッカフリークというほどではないが、ネットの世界でウィスキーに触れたのはニッカのホームページからだった。当時の掲示板によく書き込みをしていたら、ある時アサヒビール本社で開催されるニッカの夕べなるイベントに招待された。今のモルト仲間の何人かはそこで顔を合わせた人たちだ。その後、余市のマイウィスキー造りと同じようなイベントを仙台でも始めるというので最初の開催にも招待された(交通費は実費だったが)こともある。そんなことがあるから自然とニッカへの思いは強くなる。しかし、それとウィスキーへの評価は別物。コメントは正直に述べているつもりだ。
さて、そんな風にニッカフリークに交じって、ブレンダーズブレンドやキーモルト、特別に提供された余市20年・1988なんかを味わい、語り合った。そこまではよかった。
忘年会は7時で終わり、お店は通常営業に移った。一部のニッカフリークはそのまま居座り、いや飲み続けた。気がつくと10時半、酔いも十分回ったので中座して帰ることにした。ここでもまだ大丈夫だった。
表参道の駅から半蔵門線に乗り、錦糸町から総武線に乗り換えて帰宅する、その予定だった。さすがに年末の土曜日、半蔵門線はすいていたので座席に座ると瞬睡(訳:一瞬で深い眠りに入ってしまうこと)、次に気がつくと、地下鉄が地上を走っていた。
「次は、西新井、西新井です。」
えっ、西新井ってどこ。半蔵門線は通り越して東武伊勢崎線。それってどこに行くの? 頭の中は真白になり、とりあえず飛び降りて案内板を確認。まだ電車はありそうだから何とかなるかと思い、次の電車をまった。次に来たのは浅草行。とりあえず乗ったら、半蔵門に戻るには曳舟で乗り換える必要があるらしい。ということで曳舟で降りた。降りた途端に別のホームの電車が発車し、
「半蔵門線直通の電車は終了しました。」とアナウンス。
曳舟ってどこ、押上の次? 電車がなくなった、どうしよう。
曳舟駅の改札を出て、とぼとぼとタクシー乗り場へ。「すいません、〇〇までお願いします。」
タクシー代を始めてカードで支払いました。
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