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自己紹介

バブルの絶頂期の銀座のホテルに入社。
世はお金が余っているような、今では考えられない時代だ。

サービスマンとしてタクシーを一台体を張って止めると10000円をもらえるような人たちがわんさかいたが、タクシーは中々止まってくれないのだった。想像もつかない浮かれた時代でもあった。
   
世はホテルブームでホテル学校が人気で(今や外資やITの時代に人気のない職種かもしれないが)、当時はバーテンダーがステータスだ。自分もバーテンダーを目指して入社したようなもの。
同期の仲間はみなフロントだ、ベルボーイだといったホテルの花形をめざしていたが、そちらにはあまり興味がわかなかった。    

今でも変わらないが、ホテルのバーテンダーはみな「オールバックでどことなく暗い影がある顔」をしているから不思議(笑)、しかもよくモテる職種でもあった。

そんなときに、「メインダイニングのソムリエがいなくなるからレストランへ移動をしてくれ」と声をかけられた。あまり輸入ワインのない時代にソムリエという言葉もそれほど知られてもいないのだ。

「えっ、ソムリエってなに?」
そんなことを良く言われたものだったが、そこからがワインにのめりこんだのだった。。     

ボトルを開けた瞬間の香り、時間とともに変化する四季折々の香り、永遠とも広がるワインの香り翻弄されどんな葡萄がどのような変化が現れるのだろうと興味の尽きないことでもあった。

ワインをある程度勉強し、お客様に語る語る、売れる売れる!!     
それが面白く、初めてフランスに行ったときは驚嘆したものだ。ロマネコンティの畑だ! モンラッシェだ!ボジョレーだ!バスで移動するたびに一喜一憂したもので、はしゃいでいたのも思いだす。    

いまでは24年以上が経過し、輸入業となり40~50回の訪問にて、これらの畑も楽しいから分析するよな感覚になり、 一人でも多くの方にお伝えしなければなあと思うところです。

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