上の写真は、ラフロイグとブナハーブンです。
前回は、アイラを頂かなかったので、
今回は、アイラを多めにw
選択肢が多すぎると、選びにくくなることもある。
小選挙区制の下での小党乱立は、
この国で、連綿と続く、
個人的な好き嫌い優先「社会」、
つまり集団主義的ではなく、
個人主義的「社会」ゆえなのでしょうか?
大勢は判明したようですが、
体制はどうなるのでしょうか?
来春独立すると言うお弟子さん曰く
「今日飲まれたボトルで、一番はどれですか?」
「そうですねぇ〜、ロングモーンか、BW1かなぁ〜」
すると、お師匠さん(Jさん?)曰く
「僕は、信濃屋さんのボウモアの方が南国フルーツ感が良く出ていて好みです。」
「成る程、フルーツ感についてはその通りですね。僕は、BW1の軽いスモーキーさに惹かれます。それから、このスコッツのロングモーンは良いバランスですね。でも去年の夏に馬場で飲んだ、同じスコッツの1971年のシェリー樽の方が美味しかったです。」
他愛もない、平和な会話である(#^o^#)
平和の対立概念は戦争である。
戦争と選挙権拡大の歴史の間には、深い関係がある。
人類史上最初の総力戦となった第一次世界大戦を経て、
イギリスでは「銃後」を守った女性に普通参政権が付与された。
戦争と言う国家の一大事に深く関与した者が、
国政に関与・参加できないという理不尽を正すためである。
同様にして、日本では第二次世界大戦後の1945年に、
衆議院選挙法(当時は公職選挙法ではない)の改正がなされ、
女性に普通選挙権が付与された。
GHQの「鶴の一声」ではなく、
そうするべきという国民的「合意(コンセンサス)」があったからだ。
米国で選挙権年齢が18歳に引き下げられたのは、
ベトナム戦争当時の徴兵制度と関係がある。
普通選挙とは、選挙権を付与する時に差別しない、という原則である。
平等選挙とは、選挙権を付与した後に差別しない、という原則である。
災害復旧の現場で尽力している自衛隊員・警察官・消防官・ボランティアに、二票与えるべきであろうか?
普通選挙原則の下で投票権を持たない子供を育てている母親に、
二票与えるべきであろうか?
過疎地に住んでいる人に、二票与えるべきであろうか?
今回の投票で僕は、二人を除いて「×印」を付けてきました。
N潟の小選挙区で、彼女が落選するとは!
時代は変わったと言うことか?