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オールド・バーズタウン

創業年:1936年
生産者:オールド・バーズタウン・ディスティリング社
所在地:ケンタッキー州バーズタウン

 1870年、ジョージ・ムーアとマックス・セリガーが、ルイヴィルのブリッケンリッジ・ストリートでムーア&セリガー蒸留所を創業しました。蒸留所では、アストア、ベルモント、ナッツウッドといったウイスキーを造っていました。
 ムーアの死後、セリガーは1万5千ドルを投じて、新たにマックス・セリガー蒸留所を1905年に、ウェアハウスを1911年に建てましたが、蒸留所は1933年にシェンレー社に売却され、同社は、禁酒法による休業で老朽化していた蒸留所を一新し、I・W・ハーパーとオールド・チャーターのラインを移しました。
 蒸留所の所長はランバート・ウィレットで、息子のトンプソンもともに働いていました。
 
 トンプソンは1936年にマックス・セリガー蒸留所を辞め、兄弟のジョンとバーズタウンの郊外にウィレット蒸留所を建設すると、翌年の3月17日、アイルランドの祝祭日のセント・パトリック・デーに最初のウイスキーを生み出します。それが、このオールド・バーズタウンです。
 ブランドネームは、父親か、トンプソンが所有していた競走馬の名前から名づけられたそうです。

  いっぽうのランバートは、みずからの農場で畜産を営みつつ、1942年までシェンレー社傘下のバーンハイム社に勤めていました。また、当時の蒸留所のマスター・ディスティラーだったラルフ・ダップスは、後年、テネシー・ウイスキーのジョージ・ディッケルを手がけています。

 トンプソンの娘婿のエヴァン・G・クールズヴィーンが蒸留所の経営を引き継ぎ、ノアーズ・ミルなどのスモールバッチ・バーボンを相次いで発売するまでは、ジョニー・ドラムと並んでウィレット(現ケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ)社を代表するブランドで、スクエアボトルの6年、10年、12年と、ダンピーボトルの15年が日本にも輸入されていました。 
   

#バーボン

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