ひとつ後ろの席のご婦人が、レストルームに立ったついでに、コントローラーパネルを操作して冷房の温度を下げた。
「ちょっと暑いわね」ご婦人のワンピースは、セロリアンブルー地にグレーの花模様のリバティプリントである。きっちりベルトマークされたデザインではあるけれど、半袖だし襟元も開いているので、いかにも涼しげなのだが。
彼女は席に戻る前に、改めて連れのご婦人に同意を求めた。
「まだ、暑いわね。貴女、暑くないこと?ねぇ、もう少しだけ下げてみましょうか?」
返事を待たずに、パネルは操作された。彼女の長い真珠のネックレスが、じゃらじゃらと鳴った。
席に座っても、なんとなく、まだ落ちつかない様子で、ブランケットを丸めたり、クッションの位置を直したりしていたが、
「ぜんぜんだめよ。さっぱりクーラーが利かないんだわ」と言い放つと、意を決してまた席を立ち、パネルを激しく操作した。そしてやっと、これでいいわとゆうふうに肯くと、ゆるやかにウエーブがついた、銀髪のカールのひとつを右耳にかけた。彼女の、むっちりした右の二の腕が、ぶるんと揺れた。
えー、いま密やかに、ビジネスクラスが、『クーラージャック』されました。あぁ、ビジネスクラスにご搭乗の皆様、目を覚まして下さい。当機はただいまシベリアのツンドラ上空にあって、皆様の命は凍死の危機にさらされかけております。
わたしはとにかく、3枚のブランケットをアテンダントに要求し、まず、半袖Tシャツで眠りこけている良さんを、ブランケット2枚でぐるぐる巻きにした。もう1枚は自分で頭から被り、イスラム教徒の女性のようにしてみた。考えても見て欲しい。わたしの格好を。先程の3点セット、プラス、ブランケットである。
しかし一瞬、ツララだらけになり、真っ白に凍りついた機内の様子が頭をかすめた。わたしは生き長らえて、全てを証言しなければ、ならないのだわ。
しっかりしなくっちゃ。しっかりしなくっちゃ。
良さんに肩をたたかれ、目を覚ましたわたしに、アテンダントが尋ねてきた。
「Mrs.SASAKI, ブレーク・ファーストのお飲み物は、何になさいますか?」