遠洋漁業を終えて陸に戻ると、船長だった父親は船員仲間を家に呼んで、盛大に宴会をやった。ちょっと粗野で言葉遣いの汚い連中ばかり。しかし、一旦命がけで海に出たら、互いに信じあえる、たくましくて頼りになる存在なのだ。
海の男はよく食べるし、よく飲むし、もしかして客間で火事?と勘違いしちゃいそうなほど、煙草もヘビーに吸う。昭和50年代の頃だから羽振りもよく、すべてにおいて豪快だった。当時10歳だったわたしは、みんな機嫌が良くて、特別な御馳走ばかりが並ぶ、そんな儀式が大好きだった。
とくにウヰスキーにはこと欠かなかった。外国の港で買い込んだ高級洋酒が、片っ端から空いていく。甘い香りがする透き通った茶色の飲み物、瓶に貼られている綺麗な絵、瓶の形だって素敵だ。その瓶に触りたくて「お酒をつくる」と言い張った。空のグラスに氷をいっぱい入れて瓶を傾けると、トクトクトクって音がした。それから、氷がカランコロンって鳴った。大酒のみの父親のDNAが、わたしのなかで目覚めた瞬間であった。
父親が家にいるときは、母親は朝から水割りを出した。これは、明日は大海原で死んでしまうかも知れない海の男を伴侶に持つ妻の、悲しい性(さが)なのか?長年の習性なのか?彼女は、わたしが二十歳をすぎたある日に、朝方まで日本酒を飲んで、初めて二日酔いに片足を突っ込んだ状態で帰宅したというのに、叱って嗜めるどころか、酔い覚ましにと水割りを目の前に置くようなひとである。
そんなバックグランドを持つわたしは、DNAの赴くままに、女ひとりであろうと若いうちから気が引けそうなBarに、エイヤッ、と入っていた。小説の主人公を気取って浸っていれば、なんとか格好がつく。歳を重ねた今ではすっかり堂にいったものである。
娘は父親に似た男に惚れる、とはよく言ったもので、わたしが29歳10ケ月で結婚したベターハーフも大酒飲みである。共通の趣味が「お酒を飲むこと」だけれど、単なるのん兵衛に成り下がっては、人生、酒で失敗するのは目に見えているではないか。1997年、わたしはワインエキスパートの資格を取得し、2001年、ダーリンは本格的にバーテンダーの勉強を始め、酒とそれをめぐる様々なものに目を向け、総合的に取り組んでいるところなのである。
(記*2001・秋)