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フォア・ローゼズ

 


創業年:1886年
生産者:キリン
所在地:ケンタッキー州ローレンスバーグ 

 私はキッチンの戸棚からフォア・ローゼズの壜とグラスを三つ取り出した。冷蔵庫から氷とジンジャーエールを出して、ハイボールを三杯つくり、盆にのせて運んで、ブリーズが座っている寝椅子の前のカクテル・テーブルに盆を置いた。グラスを二つ取り上げて、一つをスパングラーに渡し、もう一つを私の椅子のところに持ってきた。
 スパングラーはどうしていいのかわからずに、グラスを手に持ち、下唇と親指と人さし指でつまんで、ウイスキーを受けてよいかどうかを尋ねるようにブリーズを見た。
 ブリーズはじっと私を見た。それから、溜息をついた。それから、グラスを取り上げて、一口飲み、また溜息をつき、微笑と覚しきものを浮かべて頭を横に振った。一杯飲みたいと思っていたときにタイミングよく酒をすすめられ、一口口につけたときに空気がもっときれいで、太陽がもっと耀いていて、もっと明るい世界を覗いたように感じられた微笑だった。「話がわかるのが早いな、マーロウ君」と、彼はいって、すっかりくつろいだ様子で寝椅子にもたれた。

 
「高い窓」 レイモンド・チャンドラー著 清水俊二訳 早川書房
 
 19世紀の半ばごろ、ヴァージニアからジョージア州のアトランタに移住したポール・ジョーンズが、ウイスキーの卸商のR・M・ローズ社に入社し、テネシーとジョージア州でウイスキーの行商を始めました。
 南北戦争が終結した1865年に戦乱で焼き尽くされたアトランタを離れ、ケンタッキー州のルイヴィルに落ち着くと、行商を続けつつ、1886年に息子のサンダース・P・ジョーンズとポール・ジョーンズ社を創業します。そして、新しいブランドのジョーンズ・フォア ・スターと、R・M・ローズ社から権利を譲り受けたこのフォア・ローゼズを、1888年に売り出しました。

 

 禁酒法のあいだ、薬用ウイスキーとしての認可は得ていたものの、それまで原酒を仕入れていた蒸留所の廃業が相次いだため、1928年にフランクリン郡のフランクフォート蒸留所を買いとって、自社でウイスキーの生産を手がけるようになります。当時のブランドには、フォア・ローゼズのほかに、ポール・ジョーンズやアンティークがありました。さらに、1937年には、オールド・オスカー・ペッパーとマッティングリー&ムーアのライセンスも得ています。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 1942年、ポール・ジョーンズ社はシーグラム社の傘下に下り、同社は、1946年にアンダーソン郡のオールド・プレンティス蒸留所にフォア・ローゼズのラインを移しました。系列のジョセフ・E・シーグラム蒸留所とオールド・ジョー蒸留所でも生産していたようです。
 シーグラム社の主力蒸留所だったジョセフ・E・シーグラム蒸留所が閉鎖された1982年、フォア・ローゼズの生産はオールド・プレンティス蒸留所に集約されます。
 2000年、シーグラム社の酒造部門がペルノー・リカール社に売却されたのにともない、2002年以降は、キリンがフォア・ローゼズのブランドとオールド・プレンティス蒸留所を所有しており、蒸留所の名前もフォア・ローゼズに改められました。
 
 

 ブランドネームの由来については、つぎの引用のとおりです。 

 自ら「生まれつきの、この土地生粋の、信頼できる」高級ウイスキーの鑑定家と称するアーヴィン・S・カップは、若いポール・ジョーンズが戦後、美しい南部の女性に恋をしていた話を詳しく書いている。彼がその女性に愛を告白し、プロポーズをした時、彼女は今度のコティヨン(フランス式舞踏会)の夜にお答えしますと言った。もしお受けするときは、私はあなたの四つの薔薇のコサージを胸につけているでしょうと。コティヨンの舞踏会の夜、この南部美人は、若いポールの四つの薔薇をつけて現れ、二人はやがて結婚した。数年後、とうとう稀な美酒を造りあげたと確信した時、ポールは妻と、妻が自分のコサージをつけてくれた日を記念して、この酒にフォア・ローゼズと命名した。
 フォア・ローゼズの命名に関するカップの説には、アトランタ博物館の館長のJ・G・エリオットから反論が出された。この酒は現在この博物館の入っている建物が酒造業を営んでいたR・M・ローズ一家の所有物だった時代に名づけられたのだ、とエリオットは主張する。この建物で、ある祭りの集いがあった時、四人の娘たちが同じ服装で、同じ四つの赤い薔薇のコサージをつけて現れた。ローズ家の男性たちは、この薔薇をつけた美人をたたえて、その時新しく出来ていたウイスキーに、即座にフォア・ローゼズと名づけたのだと。
 しかし、この説がアトランタの新聞に出ると、ローズ家の子孫からこの話は全くまちがいだ、この酒は、実際は昔の先祖で酒造会社を始めたルーファス・ローズとその妻と二人の子供にちなんでつけられたのだ、と反論がきた。人々がこの話を忘れそうになった時、また別のもっと若いローズ家の子孫から、前の説を反論し、フォア・ローゼズはルーファス・ローズと弟のオリゲンと、兄弟の息子たちにちなんでつけられたのだという説が出てきた。
 フォア・ローゼズの名前の由来について、分かっている事実は二つか三つしかない。まず昔ローズという名前の酒造元があったこと。この会社が商標に薔薇の花を使っていたこと(ただし薔薇の花は一つだけだった)。ローズ家は後にジョーンズ一家に譲り渡されたこと。そして、ジョーンズ一家がケンタッキーに移住してポール・ジョーンズ社を始め、フォア・ローゼズという銘柄を生んだことなどだ。

 
「アメリカンブランド物語」 ハナ・キャンベル著 常盤新平編 林和子訳 冬樹社
 
 結局、真相は分からずじまいということでしょう。いずれにせよ、R・M・ローズ社の創業者、ルーファス・M・ローズにまつわるエピソードなのは間違いなく、垢抜けないブランドネームが多かったバーボンのなかで、洒落たネーミングが売り上げに大きく寄与したのは確かだと思います。
 
 オールド・プレンティス蒸留所は、1855年、アンダーソン郡のローレンスバーグに建てられました。1904年にJ・T・S・ブラウン社が入手しますが、禁酒法の施行により休業に追いこまれました。
 禁酒法が廃止されると、グラッツ・ホーキンズ、アグネス・ブラウンがジェサミン郡のケンタッキー・リヴァー蒸留所(エンシェント・エイジ蒸留所の前身となる、フランクリン郡の同名の蒸留所とはべつ )とともに操業を再開します。
 1942年にシーグラム社が買収し、戦時下はアルコールのプラントに転用したあと、1946年にフォア・ローゼズのラインを移しました。 
 
 その洗練された口当たりは「とげのないバラ」と例えられ、マイケル・ジャクソン氏は、シングルバレルを「古典的なバーボン。とても長くとても甘く、とても優美」と称えています。とはいえ、シーグラム社のマーケティングの方針で、アメリカでは長らくブレンディッドしか一般に流通しておらず(ケンタッキー州内でのみイエローラベルを販売)、ブランドイメージは必ずしも高くありません。ただ、キリンはブレンディッドの販売を停止したともいわれています。
 いっぽう、日本では軽やかで繊細な風味が親しまれており、ブラックラベルやスーパー・プレミアム(プラチナ)など、本国以上にバリエーションは豊かです。
 ちなみに、マスター・ディスティラーが勧める飲みかたは、先代のオヴァ・ハネイはオン・ザ・ロックにソーダを少し足し、現在のジム・ラトリッジはオン・ザ・ロックだそうです。 
 

 

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#バーボン

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