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マガジン・ライブの後に…友人との嬉しい再会

さて、マガジン・ライブの会場を後にした僕は、まず真っ先にホテルへ。
荷物を置いて、すぐに吉祥寺へ出発です。

何度も書きましたが、友人との約10年ぶりの再会。
幸いにも、全く酔っていなかったのですが、ここからはリラックスして飲むので、多少の不安があります。
ここで一気に酔ってしまっては、せっかくの再会が…ですよね。

実は、僕の友人は、ある分野でちょっとした有名人。
彼は本も出版していて、この本がきっかけで久しぶりに連絡を取ったんです。どんな分野かと言いますと…

「琉球史」

…マニアックでしょうか??
簡単に言うと、沖縄がその昔、「琉球」と呼ばれる国家だったころの歴史ですね。
日本とは別の国だったんです。
で、彼はその琉球史の研究者。
彼が書いているブログ(コラム)をベースにした本が刊行されています。

ブログでは「とらひこ」氏というネームを使っていますので、以下「とらひこ」氏と書きます。

彼のブログはコチラ。興味を持った方は覗いてみてください。
一応、コラム形式でアカデミックな内容なので、プライベート風な普通のコメントは差し控えた方がよろしいかもしれません。

>『目からウロコの琉球・沖縄史』

ここまで書くと、「とらひこ」氏は非常にカタブツな人だと思われる方もいるかもしれません。実際、何だか信者みたいな若い学生も多いようで(笑)
同級生だから知っている彼の素顔は…
『教養あるヘンタイ』←最大級の賛辞ですよ、誤解無く。
とても彼の信奉者には言えないことがいっぱい(笑)

まぁ、そんなわけで久しぶりに会った「とらひこ」氏は、全く変わっていませんでした。それはお互い様だったようで、混雑する駅構内でも、遠くからすぐに発見し合い、2人とも思わず吹き出してしまいました。

食事は井の頭公園近くのアジアン・レストランで。
お互いの近況などを、時折ブラック・ジョークを交えながら話します。
この空気は懐かしく、嬉しいものでした。

彼も最近モルトを飲むようになったということで聞いてみると、「ラフロイグ」がお好きとのこと。さっそくBarへ移動です。

訪れたのは「VISION」様。
実は、事前にウチの近所のマスターやバーテンダーさんに教えていただき、連絡を差し上げていたんです。
その際に、丁寧にご回答いただき、快く迎えていただきました。
マネージャーの小川様、バーテンダーの池田様は、すごく気さくで話しやすい印象のお二人。事前に連絡していたこともあって、ご挨拶させていただきました。

ここで話した内容は秘密。
ま、人に言えないようなくだらない話や、ちょっと重たい話、他の友人や同級生の消息などなど・・・ですね。
すっかり学生気分に戻っているので、話し方や話す内容によっては幼稚とも思える雰囲気。周りの方は驚かれたかもしれません。
学生の頃のアダ名って面白いですよね。
久しぶりに聞くと、それが人名だと思えません(笑)

さて、飲んだモルトの紹介ですが、残念ながらその全ての写真を撮ることができませんでした。テイスティングは別記事に回すとして、とりあえず写真だけ…。

左 ジャック・ウィバース グレン・エルギン16年
右 ジャック・ウィバース オルトモア14年


左 ジャック・ウィバース モートラック14年
右 エイコーン ポートシャーロット6年


アデルフィー Breath of the Isles

最後のアデルフィーは初挑戦でした。天使がモルト飲んでますね(笑)
タリスカーと言われたのですが、う~ん…すっかりリラックスしていたので、あまり覚えていませんが、柔らかなシェリー香があって、あのスモーク香がほとんど感じられず。タリスカーならすぐ分かるはずなんですが…。
どうやら、天使は分け前に大量のスモークを持って行ってしまった様子。
再挑戦の余地、大いにアリです。

他にも色々飲んだのですが、それはまた改めて。

VISION様は、小さなお店で地下にあり、看板も出ていません。
ですが、中は豊富なモルトと気さくなお二人が出迎えてくれます。
毎週日曜日には、1銘柄のテイスティング・イベントも行っていますので、お近くの方はぜひ。ラフロイグのボトル数は圧巻でした。

小川様、池田様、大変お世話になりました。
新幹線使えばすぐ行ける距離ですので、また伺いたいと思います。
友人も吉祥寺に住んでいますしね♪

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「とらひこ」氏と話したのですが…
30歳を過ぎると、みんな色んな事を抱えていますよね。
それぞれの人生を歩んでいて、分かってはいるけれど人は変わって当たり前…。みんな同じだったのは遥か昔の話なんですね。

帰りの電車の中、イヤホンから流れてきた「Viva La Vida」が、いつもと違って聞こえました。久しぶりにイノセントを感じたような気がします。


 かつては世界を支配していた
 僕が口を開けば海の水位が上がった
 今では朝、独りで眠る僕
 昔は自分のものだった道を掃いてまわる

 かつては僕がダイスを転がした
 敵の目には恐怖が映っていた
 群衆が歌うのをこの耳で聴いた
 でも老いた王は死んだ、王に栄光あれ
 一時は鍵を握っていた僕なのに
 気づいたら壁が迫ってきていた
 そして気づいた、自分の城を支えているのは
 塩の柱と、砂の柱だったことに

 エルサレムの鐘が鳴るのを聴け
 ローマ人の騎兵隊が合唱している
 僕の鏡に、剣に、盾に
 外地の宣教師になるがいい
 どういうわけか説明がつかないんだ
 きみがいなくなってからは何ひとつ
 何ひとつ正直な言葉が出てこない
 それが世界を支配していた頃の自分だった

 邪悪で激しい風が
 扉を吹き倒して僕を入れてくれた
 窓は粉々に割れて太鼓の音がする
 みんな今のこの僕に目を疑う
 革命分子はみな待ちわびているよ
 銀の皿に載った僕の頭を
 孤独な紐に吊されたただの操り人形さ
 誰が王になどなりたがる?

 エルサレムの鐘が鳴るのを聴け
 ローマ人の騎兵隊が合唱している
 僕の鏡に、剣に、盾に
 外地の宣教師になるがいい
 どういうわけか説明がつかないんだ
 きみがいなくなってからは何ひとつ
 何ひとつ正直な言葉が出てこない
 それが世界を支配していた頃の自分だった

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この歌、実に様々な解釈があるのをご存知でしょうか?
キリスト教やナポレオンに言及する説、架空の寓話だとする説…本当に様々。詳しくは「Viva La Vida 日本語歌詞」でググッてみてください。
僕は、それらの説のすべてに違和感を感じます。
歌詞の内容に固執するあまり、歌の外殻しか捉えていない気がするのです。キリスト教的世界観も中世ヨーロッパ史も、それを当てはめていく事は可能ですし、調べれば該当する事柄は山のように出てきます。
しかし、細かな事柄を追求することで、歌が掴めるでしょうか?

歌はそうやって聴くものではない。

自分の心に重ねるんです。
帰りの電車で聴いた「Viva La Vida」は、思春期的イノセントの喪失を歌ったように聴こえました。そこに感動を覚えたのです。

もう”何でも思い通りにいく”なんて、青臭い想いは消えてしまったけど、それでも変わり続ける自分自身に迷う事無く生きていきたいものですね。

「とらひこ」氏(右)と…

#マガジンライブ2009

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