2012.04.28.
フェッターケアンの見学を終えた後は、徒歩でローレンスカークという町を目指します。
(この日、一日のルートはこんな感じ)
というのも、この日は土曜日。ただでさえ公共交通機関の整備が整っているとはいえないスコットランドですが、殊に土日となると、さらに圧倒的に運行本数は減ります。現在時刻は14時半くらいだったのですが、もうすでにフェッターケアン→アバディーンのバスは無く、仕方なく、バスよりは本数のある鉄道の駅があるローレンスカークまで歩いていくわけです。
(こんな道をてくてく)
フェッターケアンからローレンスカークまでは1時間強の道程。最初と途中に一カ所ある分かれ道を除けば、ほとんど一本道のようなものなので、迷うような心配は要りません。
(てっくてっく)
(途中にはきれいな菜の花畑も)
天気もよく、気持ちのよい道程で、あっという間にローレンスカークに到着。鉄道駅に行き、タイムテーブルを確認するも、次の電車までまだ1時間ある。切符だけ先に購入し、町にあったパブへ行きます。
カウンターの角に陣取って、エールをちびちびやっていると、ひとりのおっちゃんが千鳥足の体でやってきて話しかけてくる。「どっからきたんだ」「なにしにきたんだ」なんて、お決まりの文句からスタートして、「とりあえずこっち来い」と手招きをする。
拙い英語でのコミュニケーションを面倒とも思わない気の良さで「こういうとこで飲むんなら、すみっこでちびちび飲んでちゃダメだ。自分からハーイ、ハローって話しかけなきゃ」と、パブでの振る舞い方を教授してくれた。
「ウイスキーを飲みにきたんだ」っていう話から「日本にはどんな酒があるんだ?」って話になって「SAKE made from rice」みたいな話も。ふと思いつき「日本でもウイスキーを作っているんだよ。山崎とか、サントリーとか知らない?」と聞くと「日本でウイスキーを作ってるだって!?」と信じられないといった様子で、不味そうな表情を作り親指を下に向けられてしまう。「いやいや、結構評価されてるんだよ。山崎なんかは2012年のベストウイスキー・イン・ザ・ワールドだよ」とか言ってみるも、苦々しい顔で首を横に振るだけだった。本場では一部のウイスキー愛好家を除いて、一般にはまだまだジャパニーズ・ウイスキーは認められていないのかな、なんて思ったりもした。
(逆光だけど、一緒に飲んでくれたみなさん。左端のブライアンが、一番構ってくれた)
結構、下世話な話も好きで「日本の女はどうだ?」みたいなことをにやにや振ってきたり、なぜかケータイに入っているポルノを見せてくれたりして、エロ話で国境を越えたりもした。
そういえば、スコティッシュ対しては、イングランドの悪口を言えば仲良くなれる、っていう都市伝説的な話を聞いたことがあったので「Do you like England ?」と聞いてみたら、ブライアン「俺はイングランド出身だぜ」と、苦い顔。やばいやばい、と思いつつも、ブライアンも質問の意図を何となくは理解したようで、それ以上は深い歴史の話になってしまいそうだったのでやめた。酒場でするべき話題ではない。
そんなこんなで楽しく電車の時間まで。「もう電車が来るから」と店を出ようとすると「まだだろ?おいアバディーン行きの電車は何時だ?」とバーマンのお兄ちゃんに訊ねる。お兄ちゃんも「次のは1時間後だね」と、一本遅いやつを答えて「まだまだじゃないか」と笑って、結局そのまま楽しい時間を延長することに。
ここで初めて、一杯おごられて、今度はこっちが一杯おごって、っていう英国式のラウンドっていう飲み方を体験したりもできて、貴重なときは過ぎていった。
そしてアバディーンの宿へ。せっかくなのでちょろっとアバディーン市内観光の様子も。
(マーシャル・カレッジ。花崗岩で出来た建物としては世界で2番目に大きいんだと)
アバディーンは二つの大学(統合されているので実際は一つだが)がある学生の街で、そこいら中を若者たちが闊歩している。都市的な整備された部分と、伝統的なゴシックな部分とが融合した、魅力的な街並です。
(これはかなり町外れのユースホステル近くの交差点。こちら特有の信号の無いラウンドアバウト方式の交差点)
(面白かったので撮ったカフェの看板)
(オールド・アバディーンと呼ばれる街の北側エリアは、大きな公園などが広がる静かな街並。ドン川沿いを散歩)
(長崎のグラバー邸で有名なグラバーさんのお家も。ザ・スコティッシュ・サムライっていいな)
(トイレついでに寄ったパブ。スコティッシュ・リーグを放送していて、盛り上がっていた)
(こちらは街の中心部にある有名パブ。アバディーンにいる間は毎日通った)
(店内はいつも賑わっていた)
(定番パブフードの一つスカンピ。平たくいうとエビのフリッター。テイクアウェイ店なんかでも売っているけど、お店で食べると、中身がとろとろの状態で美味しい)
そんなこんなで、アバディーンには計4泊。最初は不便だったユースホステルにもすっかり慣れる。でも、独立系のホステルが無料なのに対して、ユースホステルだとWi-Fiは有料なのが嫌なところ。結局、Wi-Fi拾えるパブで使用したりしていた。
同室のメンバーは50過ぎのフランス人のおっちゃん(世界を旅してまわるのが趣味らしい)と、30前くらいのポーランド人のお兄ちゃん(海洋関係のの仕事で出稼ぎにきたらしくめっちゃガタイがいい)。ホステルのラウンジで一緒になった時におしゃべりをしたのがきっかけで仲良くなった。
おっちゃんが「隣ではしゃいでる女のコたちに声でもかけてこいよ」と言うのに我々若者は、缶ビールを片手に尻込みしたりして楽しかった。
おっちゃんは音楽が好きらしく、自分のパソコンからザッパやビーフハートなんて音楽を流し始め、それに私が食いつくと「これはどうだ?これは?」とDJタイムがスタート。長い夜になる。
いろいろ話したけど、印象的だったのが、ヨーロッパの人たちは自国の歴史に詳しいということ。戦争・紛争の話題も多く出て「ヒロシマはいまどうなっているの?」と聞かれたりもした。自分の国に対して、彼らより多くを語る能力が無いことを知って、恥ずかしい思いも抱いたり。もっと勉強しなきゃなーと、切に思った。
(4日を過ごしたアバディーンの部屋)
別れの朝は二人と握手して出る。ポーランド人のお兄ちゃんは今日が、仕事の試験の日だ、と言っていた。「グッドラック」と言うと「ユートゥー」と見送ってくれた。
いよいよスペイサイドも目前に迫っている。