2017.5.20 ~
さて、スピリット・オブ・スペイサイドからダブリンに戻って来た私。その後2週間ほど、仕事にパブ巡りに遊びにと、ダブリンでのいつも通りの生活を過ごしていたのですが、なんと私のビザはこの月末までの滞在しか許していない。あっという間に一年が過ぎ、滞在期限はすでに来ていたのである。悲しいような嬉しいような、充実したような全然足りないような気分です。選択肢としては、仕事もあることだし、そこのマネージャーにお願いしてワーキングビザを取り直すという手もある。実際「お前が残ってくれるんだったらいくらでも申請書書くぞ」とも言ってもらったのだけれど、結局私は当初の予定通り帰ることにした。実際、もともとなんのツテもない、語学力もないような状態でこちらに来た私が、現地のパブで働くことができ、さらにはそうして認められたというのは本当に幸せなこと。マネージャーを始め、ここの同僚にはホントに感謝してもしきれません。最後は「まぁいつでも戻ってこい。俺がトーキョー行ったらウイスキーおごってくれよ」と送り出され、感動のダブリン最終日を迎えたわけです。
日付が変わってもまだパブやクラブをはしごして、家に帰って来たのは3時ごろ。そこからさらにフラットメイトたちと出立ぎりぎりの時間まで飲み続けます。職場の同僚や、それ以外の友人たちとの別れもぐっときますが、やはりフラットメイトとの別れは格別。特に、最初から最後まで1年間ずっと一緒の部屋に住んでいたデイビッドとの別れは、ホントにぐっときた。敢えてアイリッシュ的なエクスプレッションをさせていただくと、ホントにクソみたいなやつだった。酒とネットゲームが好きで、人見知りのくせに人懐っこく、私がやることなすこと全てにケチをつけ、押し付けがましく「教えてやるよ」と間違ったり偏ったりした意見をぶっこんでくるようなやつだった。それでも、辞書を引き引きやっていた私と二人で朝までお互いのことを語りあったり、一緒にポケモン捕まえにいったり『T2』を観にいったり、私のためにゲール語講座を開いてくれたりと、ホントにたくさんの時間を過ごした。酒飲んで、わいわいやっている時なんかは「なんで俺は英語もろくに喋れないのにコイツのことこんなに知っているんだろう。なんでコイツは俺のことよく分かってるんだろう」と不思議に思ったりもしたけれど、そりゃ朝な夕なと一緒にいりゃあ嫌でもそうなるのかもしれない。私がこちらに移り住んでまだ間もない頃、確か『キル・ビル』の話が出た時、彼が「マジ、サムライソードってクールだよな。日本人ならアレ作れないの?」みたいなベッタベタなことを聞いてきて「まさか。俺が今からサムライソード作り始めたとしても、少なくとも15年はトレーニーだよ」みたいな適当な返事をしたことがあった。彼は「OK、じゃあ15年後に俺は日本に行くから、それまでに作っておいてくれよ」と笑っていた。そして迎えた、この日最終日。他のフラットメイトとは部屋で別れたのだけれど、彼は一人、アパートの下まで私を見送りに来てくれて、照れ屋の彼にしては珍しくハグして別れの挨拶を。「じゃあ今度は15年後に、お前が日本に来る番だな」と私が言うと「いや、もう1年経ったから14年後だな」と笑顔で返してきた。ホントに彼のおかげで楽しい1年だった。
そんなこんなでセンチメンタル過剰。まだ明けきらない5時ごろのダブリンをバス停まで歩き、あーこの街も最後か。果たして私はこの街の一部になれたのだろうか。など物思いにふけりながらバスに乗り、空港を目指します。
1年分の重い荷物を背負って、もうそのまま日本に帰国すればいいのに、そこが私の卑しいところ。折角こっちにいるんだから、最後まで楽しみ倒そうと、これから約10日に及ぶスコットランド、最後の蒸留所巡りの旅に出ます。
最後に選んだ最初の目的地は、前回と同じくアバディーン。さぁラストスパートの始まりです。
(ダブリンで最後に撮った写真。通い慣れた、ダブリンの目抜き通りの一つ、ヘンリーストリート。この日はフライデーナイト明けだったので、ふらふらしている人が多かった。私も)