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アイルランドのピュア・ポット・スティル・ウイスキー

備忘録『アイルランドのピュア・ポット・スティル・ウイスキー』

Irish Pure Pot Still Whiskey
 
ボウ・ストリート27年(68.2度、750ml) Bow Street Distillery
 
ボウ・ストリート27年は、ケイデンヘッド社オーセンティック・コレクションの逸品。ダブリンのジェイムソン蒸溜所(ジェイムソン旧蒸溜所)で、1963年に蒸溜され、1991年にボトリングされたポット・スティル・ウィスキー。カスク・ストレングスかつシングルカスク。樽出し強度の口当たりにも関わらず、濃厚な甘さを十分堪能出来る。
 
創業者のジョン・ジェイムソン(1740~1823)は、アイルランド人ではなく生粋のスコットランド人で、妻は後にブレンデッド・ウィスキーの雄となるヘイグ家の親族であった。ジョンは一時、スコットランドの州長官を勤めた事もあったが、アイルランドに未来を求め、1770年にダブリンに移住している。
 
1780年、ジョン・ジェイムソンは、ボウ・ストリートにあった小さな蒸溜所を引き継いでウィスキー造りを始め、腕利きの職人をスカウトし、最良の蒸留器を設置し、品質の大麦を仕入れ、シェリー樽を大量に買い込んでいる。後に長男のジョンが後を継ぎ、二男のウィリアムは対岸のマローボーン・レーン蒸溜所を経営し、三男も南部ウェックスフォードで蒸留業に手を染め、一家はアイルランド最大の蒸留一家として知られるようになった。
 
19世紀中頃には、海外でアイリッシュ・ウィスキーの人気が高まった事も相まって、同蒸溜所は飛躍的に拡大。300人の従業員を抱え、毎年100万ガロン(約3800万リットル)を生産するに至った。
 
ところが、第二次大戦後、アイリッシュ・ウィスキーの凋落とともに事業が縮小していき、1966年、アイリッシュ・ディスティラーズ・グループ(IDG)の一因となった。その後もウィスキーを造っていたが、1971年に操業停止に追い込まれた。暫くリフィー川対岸にある、かつての好敵手ジョン・パワー社に引き継がれたあと、1975年から同社のウィスキーは南部コーク州ミドルトン新蒸溜所で造られるようになっている。
 
1984年、同蒸溜所跡地にアイリッシュ・ウィスキー・コーナーがオープン。かつての倉庫の一部を改造した、アイリッシュ・ウィスキー博物館である。
 
Wm. Cadenhead、イギリス
 
 
 
コンバー・ディスティラリーズ(37度、350ml) Comber Distilleries
 
1953年に閉鎖された北アイルランドのコンバー蒸溜所で造られたピュア・ポット・スティル・ウィスキー。コンバー・ディスティラリーズは、オールド・コンバー・ワインヤード社が買い取った、40年以上の熟成を経たストーン・ジャー2つ分の原酒を独自にボトリングした超レアボトル。熟成の過程でアルコール度数が37度に下がったため、EU規格に従い’ウィスキー’の表記はない。同蒸溜所産のウィスキーは、後述のオールド・コンバーを含め、何れも在庫が少なく入手困難。
 
ベルファスト郊外の港町コンバーには1825年創業の2つの蒸溜所があった。一方はキリンヒー通りにジョージ・ジョンストンとジョン・ミラーがビール醸造所を改装して創業したアッパー蒸溜所、他方はメッサー・バイルンとジフィキンが製紙工場を改装して創業したロウワー蒸溜所である。1860年、ジョン・ミラーがロウワー蒸溜所を買収、共にコンバー・ディスティラリーズ社の蒸溜所としてウィスキー生産を続けた。ジョン・ミラーの死後、1871年にこれら蒸溜所はサミュエル・ブルースにより買い取られる。従業員60名程度のこじんまりとした経営の下、1887年には、それぞれの蒸溜所から15万ガロンのポット・スティル・ウィスキーが産出された。
 
当時、自社のウィスキーには、他の蒸溜所と比較してより長い熟成期間を掛け、20年以上の長期熟成を経たウィスキー原酒を用いて、後にエドワード7世に即位したプリンス・オブ・ウェールズ、ロンドンデリー卿も愛飲されたのだという。1925年に創業100年を記念して出版された冊子には、”熟成庫に5万樽のウィスキーが眠っている”といった記述がある。
 
同社のポット・スティル・ウィスキーは、蒸溜所が閉鎖された1953年まできわめて高い評価を得ていた。その4年後、貯蔵庫で眠っていたウィスキーはインヴァネスの業者H&Dワインズ社の手で買い取られるが、蒸留施設は1957年にメッサー・ハリウッドとドネリーの手を経て、一部の建物はジャック・クークの手に渡る。1950年代に蒸留されたウィスキーのうち、残ったストックは1970年に、ポータダウンとクライガヴォンに販路を持つワイン&スピリッツ商ジェイムズ・E・マクカーベが買い取り、1980年代始めに、少なくとも30年間熟成させたウィスキーがオールド・コンバー・ピュア・ポット・スティルの名で毎年、百本程度が売り出された。
 
アッパー蒸溜所の跡地では、旧精麦棟と居住区を改装し、クークの子息、テリー・クークが夫人と経営するアンティークと家具の修復業者が営業を続け、他にも画枠製造業者、ガレージ、商業用自動車の製造業者などが雑居している。ロウワー蒸溜所は閉鎖後に取り壊され、跡地に近代的な工場が建設された。
 
Old Comber Wineyard、アイルランド
 
 
 
ダンガーニー・スペシャル・リザーブ1964年(40度、700ml) Dungourney Special Reserve
 
ダンガーニー1964年は、ミドルトン蒸溜所11番倉庫で”発見”された、秘蔵古酒。クーパー(樽職人)が、漏れを起こした樽が無いかどうか巡回中に偶然発見された。
 
それは、今は無きコールレーン蒸溜所で生産されたウィスキーの樽であり、コーク・ディスティラリー社時代にミドルトン蒸溜所に運び込まれたものであった。これを、特別にボトリングしたのがこのダンガーニー。1964年に運び込まれて以来30年間眠っていた樽がこうして日の目を見る時が巡ってきた。酒名は、新旧ミドルトン蒸溜所の地に流れる小川にちなんだもの。
 
ダンガーニーは、ミドルトン蒸溜所が誇るブレンデッド・ウィスキーの極致である銘酒「ミドルトン・ヴェリーレア」にブレンドされていた事は、周知の事実。画竜点睛の一滴として、この酒の性格を決定づける、トップドレッシングの役割を果たしているのがこの「ダンガーニー」という訳だ。
 
■コールレーン蒸溜所(1820~1964年/1978年)
 
1820年設立。1845年頃には、10年物の高品質なポット・スティル・ウイスキ-を生産。英国下院のバーに提供。下院(House of Commons)の頭文字を取り、オールド・アイリッシュ・H・C・ウィスキーとして市場に出荷されていた。1861年、ロバート・A・テイラーに引き継がれてから蒸溜所は飛躍的に発展。アイルランド1の蒸溜所とうたわれ、名声を欲しいままにした。当時、ブッシュミルズ蒸溜所より遥かに格が上であったという。しかし1902年、テイラーの死後、経営が徐々に悪化1920年代には操業停止に追い込まれた。1933年、ブッシュミルズ蒸溜所に買収されたが、第二次大戦により大麦が不足、1964年に閉鎖された。戦後は瓶詰工場として再開し、その後グレーン・ウィスキーの生産工場に転用された。しかし、IDGのミドルトン新蒸溜所に生産が移管され、1978年、ついに閉鎖された。
 
■ミドルトン旧蒸溜所(1825~1975年)
 
マーフィー3兄弟によって創業。1794年、実業家が紡績工場として建てた物であり土地は地元貴族ミドルトン子爵から借用した物をウィスキー蒸溜所に転用した事になる。
 
当初、長男の名を取りジェイムズ・マーフィー社と名乗っていたが、1867年コークの4蒸溜所との合併によって、コーク・ディスティラリー社を創設。当時ノース・モール蒸溜所の主力商品であった「オールド・アイリッシュ・ウィスキー(後のパディ)」、「ミドルトン・ウィスキー」などを造り続けた。1966年のIDGへの統合後以降も蒸溜所は稼働していたが、一カ所で大量に生産するシステムを考えていたIDGは、都会のダブリンでは敷地拡張が無理だと判断、このミドルトン蒸溜所の北側の広大な土地に近代設備を導入した新蒸溜所を建設した。
 
1975年、ミドルトンに新しい蒸溜所がオープンする前日、ウィスキーの生産は全てミドルトン新蒸溜所に移管。マーフィー3兄弟によって創業した、旧蒸溜所の方は日閉鎖された。
 
旧蒸溜所の方では、1852年に作られた直径 6.6m の水車を動力源にしていて、1975年に閉鎖されるまで使用していた。蒸気エンジンは水位が低下した際の補助動力としてのみ使用された。この蒸溜所には容量約14万4千リットルの世界最大の蒸留器が設置され、アイリッシュウィスキー全盛期の需要を満たしていた。樽の製造所(クーパレッジ)を備えた巨大なウィスキー蒸溜所として稼働していた蒸溜所跡地は現在「ジェイムソン・ヘリテージ・センター」として一般に公開されている。
 
Cork Distillers Co.、アイルランド
 
 
 
グリーン・スポット(40度、700ml) Green Spot
 
1920年、ダブリンのワイン商「Mitchell & Son」がリリースしたピュア・ポット・スティルだ。ミドルトン新蒸溜所より、3回蒸溜によるニュー・ポットを購入して独自にシェリー古樽で熟成。10年の熟成期間を経て、毎年500樽のみの限定量をアイルランド国内向けにリリースしている。アイリッシュの神髄とも言えるメローな風味が楽しめる銘酒かつ稀少品だ。
 
アイルランド各地の蒸溜所が、アイリッシュ・ディスティラーズ(IDG)として統合される以前、このブランドは、ジェムソン社で熟成された、7年物と8年物のピュア・ポット・スティル(シングル・モルト)を瓶詰したものだった。
 
Mitchell & Son、アイルランド
 
 
 
ジェムソン15年・リミテッド・エディション(40度、700ml) Jameson Limited Edition
 
アイリッシュウィスキーのベストセラーブランド「ジェムソン」のミレニアム記念ボトルで、厳選された200樽から瓶詰された15年物のピュア・ポット・スティル。シェリー古樽仕込みの生産量限定品で、ボトルには固有の番号が与えられている。
 
NUMBER 01843
 
■Tasting Note
 
This pure pot still whiskey aged 15 years and over, possesses a taste which is full bodied and flavoursome but not overpowering.
 
■Nose
 
Discover the complex nose, with mild sherry notes and background hints of toasted oak.
 
■Taste
 
The Unique and intriguing taste is of lush fruits, herbal spice and sherry overtones that temper the robust, old pot still whiskey flavour, which is at the heart of the jameson Limited Edition.
 
■Finish
  
With a long and satisfying finish it has the mellow smoothness typical of the Jameson brand.
 
ジェムソンは現在ペルノ・リカール・グループの主力商品のひとつで、ミドルトン蒸溜所の産。
 
ジェムソン社は1780年、ダブリンで設立。長い間、単式蒸留器による重厚なウィスキーだけを世に送り出してきたが、1974年、業界に先駆けてグレーン・ウィスキーをブレンドした軽快なウィスキーを発売した。
 
John Jameson & Son Ltd.、アイルランド
 
 
 
ナッポーグ・キャッスル1992年(40度、750ml) Knappogue Castle
 
ナッポーグ・キャッスルとは、アイルランド西岸のクレア郡にある古城の名。所有者であるマーク・エドウィン・アンドリュースは、この由緒ある旧跡の名を冠した独自のブランドを世に問うた。その最古の物が1951年蒸留のヴィンテージ品である。
 
ナッポーグ・キャッスル1951年は、1951年蒸留、1987年瓶詰の36年物。現社長の父アンドリュー・シニアが、かつてタラモアに操業していたB.デリー蒸溜所産のピュア・ポット・スティルを買い取り、コーク・ボンデッド・ウェアハウス(熟成庫)に収めて熟成させた超レア・アイテム。1987年、熟成のピークに達した原酒を加水調整してボトリングしたもの。米国、テキサス州のヒューストンに拠点を置くグレート・スピリッツ社の求めに応じたボトリングとなった。
 
Bottle No. 094, Cask No. 9
 
Nose    : A heady mix of over-ripe (almost black) banana, big oaky notes.  Demerara sugar (slightly molasses, in fact), soft honey, ripe greengages and pepper. On a blind nosing I might have considered this a rum. Just a few ripe barley notes pop through, but essentially when cold. 
 
Taste   : Big, booming start. Very rich from the off: attractively oily and mouth watering, immediately showing an unmalted pedigree to the clean barley and perhaps a hint of oats. However, to the middle there is a sweet, coppery, estery texture more attuned to Jamaican pot still. 
 
Finish  : Long, quite hard and brittle – as one would hope from a whiskey of this genre – and some of the deeper vanillins one might expect to find in an old bourbon. Chewy with liquorice and a hint of chicory. It is the estery, vaguely honied, oily copper pot rum, which hangs on the longest. 
 
Comments: A highly individualistic whiskey, which refuses to take prisoners.  Another year in the cask might have tipped this over the top. We are talking brinkmanship here with a truly awesome display of flavor profiles ranging from traditional Irish pot still to bourbon via old Jamaican pot still rum. A whiskey of mind-boggling duplicity, tricking the taste buds into reading one thing after another and then moving off on a different tangent altogether. About as complex and beguiling as straight Irish whiskey ever gets. Astonishing and truly a thing of beauty. 
 
現在流通しているヴィンテージは、クーリー蒸溜所の原酒を使用した(1990、1991、1992)の3種。こちらは、何れもシングルモルト。
 
Knappogue Castle Co.、アイルランド
 
 
 
レッドブレスト12年(40度、700ml) Redbreast
 
ミドルトン新蒸溜所産のピュア・ポット・スティル12年物。3回蒸留した原酒を12年以上熟成させた正に重厚なるアイリッシュの逸品。樽の香り充満していて実に味わい深い。レッドブレストとは、赤い胸をしたヨーロッパ・コマドリの英名。
 
ミドルトン新蒸溜所は1975年の創業。IDG社の施策”一カ所で大量に生産するシステム”に従い、都会のダブリンでは敷地拡張が無理だと判断した結果、ミドルトン旧蒸溜所北側の広大な土地に近代設備を導入した巨大なウィスキー蒸溜所。オープン前日、生産はミドルトン旧蒸溜所から全面的に移管。旧蒸溜所はこの期に閉鎖され、現在ジェイムソン・ヘリテージ・センターとしてオープンしている。
 
ポット・スティルは4基で、1回目の蒸溜を行う超巨大なウォッシュ・スティルの容量が13万リットル、1回で8万リットルも蒸溜できる。パテント・スティルは3基。北アイルランドのオールド・ブッシュミルズ蒸溜所で使用するグレーン・ウィスキーもミドルトン新蒸溜所が提供している。年間、1400万リットルのアルコールを生産する。年中無休、貯蔵庫には常時50万樽が眠る。正に巨大コンビナートの風体である。
 
大麦は肥沃な東コークを中心にアイルランド国内産を使っており、仕込用水は、近くを流れるダングーニー川から取っている。200年前から、モルトを乾燥させる方法は石炭から天然ガスに代わっている。瓶詰めは、コーク市内の旧ノース・モール蒸留所、ダブリンのボトリング工場、北アイルランドのオールド・ブッシュミルズ蒸溜所の3カ所で行われている。
 
Fitzgerald & Co.、アイルランド
 
 
 
タラモア42年(66.4度、750ml) Tallamore Distillery
 
タラモア42年は、ケイデンヘッド社オーセンティック・コレクションの逸品。タラモア蒸溜所で1948年に蒸溜され、1991年にボトリングされた、42年物のポット・スティル・ウィスキー。カスク・ストレングスかつシングルカスク。樽出し強度の口当たりにも関わらず、甘くてモルトの風味が強い。
 
タラモア蒸溜所は、1829年にマイケル・モーリーが創業。他の蒸溜所に比べてかなり後発だった。その後は甥の手に渡り、さらにその息子のバーナード・デイリー大尉に引き継がれた。浮き世離れた人物であった大尉は、毎日、馬術や狩猟、ポロなどに興じてばかりで、本業のウィスキー製造には関心を払わなかった。そんな大尉が、ダニエル・E・ウィリアムズという蒸留職人をスカウト。彼は15才から蒸溜所で働いてきた苦労人。ひと一倍の努力と、聡明さをもって技師の地位にまで這いあがってきた人物だという。
 
ダニエルの時代、1860年代から彼が死去した1921年にかけて、蒸溜所は飛躍的に発展。蒸溜所の権利はデイリー家とウィリアムズ家で折半していたが、1931年以降はウィリアムズ家が独占するようになった。しかし第二次大戦後、経営が苦しくなり遂に1954年閉鎖に追い込まれた。ウィスキー造りに命を懸けたダニエルは生前良質のポット・スティル・ウィスキーを生みだした。そのブランド名に、自分の名のイニシャルを取って「Dew (露)」の文字を入れた。タラモアの町にはよく露が降りる。それがタラモア・デューの名前の由来である。
 
現在は、ウィスキーベースのリキュール「アイリッシュ・ミスト」製造工場として稼働している。
 
Wm. Cadenhead、イギリス
 

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