こんばんは。
なんとあの有名な、目が疲れる絵本「ウォーリーをさがせ!」が実写映画化されるというニュースを聞きました。
実写!!??
登場人物みんな似たような服着てるとか?
2時間くらいの間ずっとウォーリーを探す話?
“ウォーリー”と“探す”というキーワードだけ借りた、絵本とは全く別次元のSF超大作、もしくはクライムサスペンス?
やはり映画でも目が疲れるのか?
3Dだという噂だが、我々の目が耐えれるのか?
謎は深まるばかり…。
どうもウォーリーが気になってきた酒井です。毎度です。
てかほんまに映画化すんのかいな…。
さてさて本日は、先日観ましたDVDのご紹介。
『ギルバート・グレイプ』
あらすじ。
ラッセ・ハルストレム監督による青春映画。
人口千人ほどの田舎町アイオワ州エンドーラ。生まれてから24年、この退屈な町を出たことがない青年ギルバートは、知的障害を持つ弟アーニー、過食症を病む250kgの母親、2人の姉妹の面倒を見ている。
毎日を生きるだけで精一杯のギルバートの前に、ある日トレーラーハウスで祖母と旅を続ける少女ベッキーが現れる。ベッキーの出現によりギルバートの疲弊した心にも少しずつ変化が起こっていく…。
…観た直後はそんなに感想らしきものは浮かんでこなくて、なんや主人公が煮え切らんヤツやなあとかモヤモヤした気持ちしかなかったのですが。
数日後にこの感想を書くためにふとこの映画について考えた時、いろんな思いが浮かんできてホロリと涙が出てきてしまったです。
お、時間差攻撃やな、不覚…。
どこの家庭にも起こり得る、自分自身への思いと家族への思いの間でとるバランスの難しさを改めて考えさせられます。
個人の幸せとは、家族の幸せとは。
家族あっての自分、自分あっての家族。
どちらが正しいと言うのはないと思うのですが、家族のしがらみにがんじがらめにされて身動きを取れずに自分を抑えている、前途ある若者を見ていると胸が締め付けられます。
人は自分の思いだけを貫くことで幸福感を得られるものなのでしょうか。
ただ一人で幸せな気持ちになれるものなのでしょうか。
おそらくそうではないような気がします。
では、他の誰かと分かち合う喜び、他の誰かへ向ける愛情が自身の幸せを生むのでしょうか。
だとしたら、自身の気持ちがそれと相反してもそこに幸せはあるのでしょうか。
母親を愛している、自分にはやりたいことがある、母はここにいてくれと言う、自分は街を出たい。
どうしたらいいのでしょう。
家族の為に、自分の気持ちを犠牲にするべきでしょうか。
自分の気持ちの為に、家族を犠牲にするべきでしょうか。
同じような問いかけがぐるぐる頭を回ります。
もーー、ワカランッ!!
唯一はっきり思ったのは、私がこの映画に登場する母親だったら。
私の為に子供達の気持ちを犠牲にして欲しくはありません。絶対に。
「あなたはあなたの道を行きなさい。私は私の道を行きます。自分の気持ちに正直に行動して下さい。私のことは気にしなくていいですよ。いってらっしゃ~い♪」
と言います。
<オマケ>
ジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオの演技にすごいなと思わされますよ♪