今回は、塚口の焼き鳥屋のマスター(以下、マスター)から聞いた話です。
ウィスキーには全然関係ありませんが、興味をそそられた話なので書きます。
マスターは焼き鳥を焼きながら話し、こちらは酒を飲みながら聞いていたので、細かいところを聞き間違えているかもしれませんがご勘弁を。
マスターは以前は大工をされていたそうです。細かい経緯はよくわかりませんが、焼き鳥屋を開こうと決め、堺東にあった焼き鳥屋に修行に通ったそうです。
具体的にいつ頃とは言ってませんでしたが、たぶん20年近く前のことのようです。ちょうどバブル全盛の頃ですかね。
その堺東の焼き鳥屋は、駅近くのビルに挟まれた駐車場の「中」で営業したそうです。広い駐車場だったのでしょう。駐車スペースを4台分借りて、その上に建物を建てていたそうです。うまくイメージできないのですが、どんな建物だったのでしょう。
店内には4人掛けのテーブル4つとカウンター席があったそうです。お客さんがいっぱいのときは、外でビールのケースの上に板を載せ、即席のテーブルを作ったりもしていたそうです。ちなみにトイレは外の簡易トイレだったとか。
堺東の焼き鳥屋の店主(以下、師匠)は、もともと養鶏家だったそうです。なので当然、鶏にはうるさい。良い鶏を使っていたのでしょう。年間1億円近く売り上げていた繁盛店だったようです。
毎日2〜3回転はしてたのでしょうか。空席ができたら、お客さんが自分でダスターでテーブルを拭いてから席に着くのが決まりだったそうです。
店にはマスターの他にも修行に来ている人たちがいました。その店に修行に来た人は全部で18人いたそうです。そのうち無事に修行を終えた人、つまり師匠の弟子は12人いて、マスターは8番目の弟子なのだそうです。
さて、その焼き鳥屋には黒猫がいました。といっても、店の飼い猫ではありません。店を開けるとどこからかやって来て、店内のテーブルの上で寝そべって寛ぎ、お店が混んでくるとさっとテーブルから降りてまたどこかに行ってしまっていたそうです。お客さんに食べ物をねだるわけでもなく、単に寝転がっていただけだったとか。たぶん店からは食べ物を貰っていたと思うのですが、それにしても行儀が良いというか、頭が良いというか、不思議な猫ですね。
師匠はその猫のことを招き猫を呼んでいたそうです。
その猫がテーブルの上で寝転がっている姿は見てみたかったですね。
焼き鳥屋はその後、チェーン展開し、駐車場の店舗は他の店に変わってしまったそうです。
師匠は、チェーン展開でずいぶん稼いだようですが、何年か前に亡くなられました。マスターが修行に通っていた頃すでに60代だったそうです。
チェーン店は今も営業しているそうです。
駐車場の店舗がどうなったかはよく分かりません。もしまだ残っているのなら見に行きたいですね。
#雑記