本日は前回からの続き、名古屋の「BARNS」さんからの日記です♪
ボウモア→アードベック・フェスボトルそして私の定番のクライヌリッシュと
いうラインナップで飲み進めてまいりましたが、こちらのでの最後の一杯は
前回二本差し出していただいたうちの残りの一本
テンションの上がったこちらのボトルでございます↓
クライヌリッシュ 12年 ゴードン&マクファイル バイカラー 57%
6月に京都へ行きました際に感動的な出会いをしたボトル・・・
その興奮も冷めやらぬうちに意外なところでの再会でございます♪
いつもお勧め飲みをしているとこういうこともあるんですね・・・
でもそのおかげで出会いの経緯としては素晴らしい順番になったのかとも
勝手に思っております♪
前回はショットグラスで頂きましたので、今回はしっかりとテイスティンググラスで
味わう事に致しまして・・・・
香りは、やはりテイスティンググラスでの印象のほうが全体的に華やかさを強く感じました♪
なのに・・・味わいの方はショットグラステいただいたときの方が旨みの印象が濃い感じ(@。@)
勿論、置いてあった経緯が違えば状態も変ってくるのだとは思いますが・・・
正直言ってこのお店の管理は万全で、さすがのマスター♪このボトルはグラスに注ぎ終わると
同時に不活性ガスを注入し、しっかりとパラフィルムを巻いておられましたし・・・
これまた不思議な感覚ですね(^^;)
まぁ私の感じ方がいい加減であることの明らかな証拠になってしまったかもしれません(^^;)
飲み比べというのは、感覚をはっきりとさせるためにはとても解りやすい手法でありますが・・・
優劣をつけないまでもどちらの方がどうだったという結果になりやすく・・・少し複雑な気持ちも
出て来てしまいますね(^^;)
銘柄が違えば夫々の良い部分を感じるという楽しさの方が大きいですが
同じものを頂いてとなると・・・・
やはりしっかりとした自分の感覚を早く身につけないと、どういう基準でどのように感じたことを
書き止めたら良いのかの軸が定まらないのかと・・・自己嫌悪です(笑)
でも大部分は・・・感動の再会で思いっきり美味しく頂戴いたしました(^^)♪
それにしても、同じものを飲み続けるということはとても大切な感性修行ですね(@。@)
あくまで自分の日記といいながらも、頂いたお店のこともはっきりと明記してしまっている私の
ブログはネットにアップしている時点でいわゆる「口コミ記事」という分野に入りますよね・・・
自分の感動を伝えたいと言ってもそのことによって、ほんの少しではあれ他の方に影響を
与えてしまう事は否めない事実であります。
そこで頭に浮かびましたことに、ちょいとここで触れてみたいと思います♪
先日の蕎麦の汁のことについて少し引用させていただいたのですが
これも同じく「そばもん」という漫画からですm--m
藤村 和夫 (著) の「江戸蕎麦通への道」からの引用と思われますが・・・
かなり長くなりますので・・・できれば読み飛ばさずにお時間のあるときに改めて読んで頂くか
「そばもん」の4巻を漫画喫茶にでも行った時に読んでみて下さいませm--m
現在の情報社会の中で、ブームを作り出す原動力ともなっているネットでの評価。
この内容の信憑性についてはかなり曖昧なものがあり、受け取る側の取捨選択の
基準がとても大切になるわけですが、本来掲載する側にはかなり重い責任が
課せられているものであり、特に飲食物に関しては「食べ物の良し悪しを判断する
絶対的な基準はない」というところからもその責任はかなり深いものだといえると思われます。
この物語の中では、そばの記事を載せる人にはそれなりのスキルや基準が必要であり
それには先ず「そば通」になることが一番の近道だと語っております。
ではその「そば通」とはどういうものなのでしょう?という問いかけに対しての主人公の答えは・・・
「通」には三つの段階が存在する。
それは「通る(とおる)人」「通う(かよう)人」「通じてる(つうじてる)人」である
とにかく色々なお店の暖簾を「とおって」自分の気に入るお店を探し
出来るだけ数をこなし、自分の好みに合った店を選択したらしばらくその店に通ってみる。
最初は気に入った店でも、通っていると飽きが来たり鼻についたりすることもある。
そしたらその店に通うのをやめ又振り出しに戻る。
そして何回行っても飽きが来ない落ち着ける店を探しその店に腰を据える。
これが第一段階の「通る人」
選定したひいきの店に通いつめ、その店の味をしっかりと舌に覚えさせる。
そのことによってそれまでぼんやりとしていた単なる「好み」であったものを
その人の味の基準に昇華させる。
そうやって舌が出来てから改めて他の店にも行ってみる。
すると自分の舌に基準が出来ているから他店とひいきの店の違いがはっきりと
解るようになる。夫々の特徴が感覚としてよく解りそこの良し悪しの判断も出てくる。
これが第二段階の「通う人」
この段階まで来たら、そばに関する書籍などを読み知識や能書きに触れ自分が感覚的に
感じていたことを理屈として理解できるようにする。
自分の舌に基準が出来ないうちに色んな知識や情報を入れずぎるとそばを口ではなく
頭で食べるようになってしまう。
手打ちだから美味い、自家製粉だから美味い、有名店だから美味いと思い込むのが
それである。
そしてあやふやな知識をもとにあれこれと粗雑な行為に走る・・・
通人ぶる事、よく知らずに知っているように振舞う人を「半可通(はんかつう)」と呼ぶ。
そういう段階を乗り越えた上で自分のひいきの店に戻ってくると、自然物であるそばには
その日によって少しずつ変化があるといった微妙な味の変化にも気づくようになる。
この段階にまで行って初めて「そばに通じている人」と言えるようになる。
店の主人がその変化を気づかれないように微調整している事もわかるようになるだろう。
しかし「通」はそんな事をいちいちあげつらったりせず、美味く出来ている時だけ誉め
普段は全てを受け入れ、むしろ野暮ったくしている。
これが「通」の一つの例であるが、これはあくまでもその人の「好み」を鍛え上げたもの
であり、唯一無二の基準ではない。
これはあくまでも、「誰かに対して情報を発信する人に対して」と言う見解で上げ連ねた
ものでありそんな堅苦しい事に素人が皆迎合するべきものだとは思っておりませんが、
情報を受け取る側の素人としては頭に入れておいて損は無いことだと思い
書かせていただきましたm--m
こんな事はあえて私のような輩から言われなくても十分承知の上で皆様楽しまれていることも
重々承知はしておりますが・・・半可通の自分としてはとても反省と言うか感じ入ってしまった
内容でした。
モルトに関しては多様性がありすぎてこれを当てはめるのにはかなり無理があると思いますが
基本的な考え方としては、とても納得の出来る内容だと私は思っております(^^)♪
ネット上で多少なりとも情報を発信している人間の一人として、これからはますます
「モルトを通る人」への道を進みつつ、改めて謙虚な気持ちでこの日記を続けて行きたいと
思った次第でございます。
長文に最後までお付き合いくださった方、本当にありがとうございましたm--m