【3】シングルモルトマニアックス
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「なんだよ。同じ人間でも育った環境で嗜好が違うなんていうんじゃ、味覚を語る意味なんて無いじゃないか。」
ここまで読まれてそう思われる方も多いかも知れません。逆にむしろそう思われた、何事も突き詰めて考える方達こそがマニアックスに相応しい資質を備えていると思います。
でもちょっと待ってください。私も自称マニアックスの端くれです。
苦いものは本能的に「嫌う」のだけれど、環境や経験によってそれをある程度であればむしろ「好む」ようになる、というのが感覚の環境順応性だとご説明しました。
もっと言うと「好む」のか、「嫌う」のかという部分、取捨選択にまつわること関しては環境に順応するとしても、「苦い」と思う味覚に関しては人間健常な状態であれば誰しも共通して持ち合わせている、化学的受容(感覚)であるのです。「苦いな~。でもコレ好きだな。」と感じるか、「苦い! 不味い!」と切り捨てるかの違いはあっても、「苦い」と感じることには変わりはないのです。
ここで少しウイスキーの話に戻しましょう。
ウイスキーを飲まれたことのある方で、特にこうして本文を読まれている方達は、ウイスキーというのは「甘い香りがして、でも苦かったり、酸っぱかったりもして、塩っぽくもあって、コクもある。複雑な味や香りがするお酒。」というふうに感じられたことがあると思います。
いきなり答えを言ってしまうようですが、実のところ複雑に多種多様な化学感覚が高い閾値で惹き起こされる、それこそがウイスキーが覚醒の酒と言われる理由なのです。
ウイスキーという名の飲み物に対して、人間が持ちうる五感のすべてを導入し、味覚や嗅覚に至っては化学的受容(感覚)を同時、または連続して「数限りなく」惹き起こして、脳を多種多様の興奮にさらす。
これらの感覚を意識的、または無意識にも当事者が受け止めたとき、まさしく「脳は覚醒している」状態にあるのです。
徐々にその核心に迫ってみたいと思いますが、まずは簡単に味覚の分類をまとめた表を御覧ください。
原因物質 | シグナル 利用目的 | |
甘味 | ブドウ糖 ショ糖 人工甘味料 | エネルギー源 |
塩味 | 金属系陽(+)イオン (ナトリウムイオンなど) | 体液のバランスに必要なミネラル分の供給 |
酸味 | 酢酸 クエン酸 塩酸など酸の解離によって生じる水素イオン | 代謝の促進 腐敗のシグナル |
苦味 | カフェイン キニーネなどのアルカロイド | 毒性のシグナル |
うま味 | グルタミン酸ナトリウム イノシン酸ナトリウム グアニル酸ナトリウム | 必須アミノ酸、ヌクレオチド(DNAやRNAを構成する単位、核酸の原料)の供給 |
先ほど味覚と嗅覚は化学感覚であるとご説明しました。また五感というお話もしました。これは便宜上一般的な物言いで申し上げた部分もあるのですが、ここで少し言葉の枠を広げてみたいと思います。
生命体というのは化学物質が存在する海の中で進化し続けてきた歴史を持っています。その誕生からおよそ30億年。。。その間のほとんどを生命体は「食物」「毒物」そして「性行動」の信号を発する化学物質が溶けている水中をさまよい続けてきたのです。
そのため化学感覚というのは、感覚系の中でも最も古く、現存する多くの生物に共有されています。ですので脳を持たない単細胞生物であっても、好みの食物を探知して、そこへ向かっていくことが出来るのです。
一方多細胞生物は、体内と体外、内部環境と外部環境の両方の化学物質を探知しなくてはなりません。
例えば人間ならば対外的に「揮発性」の化学物質が満ちた「空気」という海の中に生きていて、様々な理由で化学物質を口の中へ入れています。体内では体液や血液が満ちています。ですのでそもそも生活環境の中で物質を見極めるために発達してきた「化学感覚」も、進化の過程で非常に多様化してきました。今ではホルモンや神経伝達物質、そしてそれら以外のオータコイドを介する、細胞や器官同士の化学的双方向コミュニケーションの手段として利用されていると言えます。
少々難しい話ではありますが、「あらゆる生命体のあらゆる細胞は化学物質に何らかの反応性を示す」のです。
ですので、味覚や嗅覚以外にも人間は多種多様の化学感覚を持っています。それはイコール原因となる化学物質に反応性のある細胞を持っているということであり、具体的には特定の化学物質が結合する「化学受容器」を持っているということなのです。
この化学受容器は無意識にも意識的にも、私たちの身体の情報を伝えるのですが、たとえば筋肉にある知覚神経の終末では酸性度に反応をして、疲労と酸素欠乏によって惹き起こされる(過酷な運動をしたときに起こる)、「焼けるような」感覚を伝えます。頚動脈の受容体(化学受容器)では血液中の二酸化炭素や酸素のレベルを検知しています。
ということは、ウイスキーを飲んだときにも、そこに含まれる化学物質は味覚や嗅覚のみならず、多種多様な受容器によって受け止められ、しかるべき化学感覚が生じているのです。
味覚や嗅覚は化学感覚の中でも馴染み深く、事実「味」や「匂い」は意識できることの方が多いのですが、重要な化学感覚は決してそれだけではありません。つまり「化学感覚というものは数あれど、味覚や嗅覚というものは化学物質そのものを見極めるため、探知するための感覚である点で特徴的である。」と言ったほうがいいのです。
中枢神経系はこの両方の感覚を使うことでのみ「風味」を理解しています。味覚・嗅覚は「渇き」「空腹」「情動」「性行動」「ある種の記憶」といった最も基本的な内的欲求と強く、直接的につながりを持っています。でも味覚と嗅覚の伝達系そのものは、化学受容器の構造からそのメカニズム、中枢との連絡経路の構造、あるいは行動に与える影響については全く「異なって」います。味覚と嗅覚というのは互いに分離した伝達系を形成していて、それぞれの系から神経情報は並行して処理をされて、大脳皮質に到達して初めて「高次のレベル」で融合を果たしていると言えるのです。
#ウイスキードリンカー