サントリーの三鍋氏はその著書の中で、「ワインは身をゆだねることで陶酔にひたる酒であるのに対して、ウイスキーは覚醒の酒であり、脳の働きを活発にさせ、人を弁舌にさせる力がある」と書かれました。
また、一般に嗜好品とは「人それぞれ個々の好みである」と語られます。確かに多くの人に好まれるウイスキーもあれば、一部の人に熱烈に愛されているものもあるように思えます。
では実際のところどうなのでしょう?
私は薬剤師であり、「化学物質が人間にどのような作用を及ぼすのか」を専門に学び、国家資格を受けてからは一貫して現場経験を積んでまいりました。
少し堅い話になってしまうかもしれませんが、人間の味覚とは一体どんなものなのか、しばし薬剤師の目線で解説させていただこうと思います。
感覚というものは、生物がそれぞれの環境で生きて行くために、進化の過程で身につけたものです。植物は化学物質を根や葉から吸収し、日の光を浴びて光合成をします。動物は植物や他の動物を食べることで化学物質を摂取します。あらゆる生物はそうした有機的サイクルの中に身を置きながら生命を全うするのです。
ゾウリムシや大腸菌といった単細胞生物は、視覚をほとんど持っていません。しかしながら周囲の化学物資の味や匂いを頼りに、その安全性を判断して摂取し生きています。実際に大腸菌は「うま味」を持つアミノ酸や甘味物質を近くに置くと、その周囲に集まる特性(正の走化性)を示します。一方酸味や苦味の強い物質に対してはそこから逃げ出すのです(負の走化性)。このことはアミノ酸や甘味物質を自らの栄養と出来ると「感覚で判断した」ことの証明といえます。
人間の持つ感覚はご存知の通り、一般的には視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五つに分類されています。この他にシックスセンス(第六感)があるなどと言われますが、おそらくこれもあるとするならば脳の働きによるものでしょう。
そのうち、視覚、聴覚、触覚は物理感覚と言われます。光の量を目で感じるのが視覚、空気の圧力量(音)を耳で感じるのが聴覚、触れたものの圧力量や温度を皮膚で感じるのが触覚です。
一方、味や匂いの原因物質が舌や鼻腔などに触れることで生じる化学感覚が味覚、嗅覚です。特にこの味覚、嗅覚といった化学物質を受容する感覚こそが動物が食べものを摂取する際の安全判断の基準となってきたわけです。
本来人間は苦味を好まない性質を持っています。苦いものには毒が多いと本能的にインプットされているからです。しかしながらわざわざ苦いコーヒーを好む人がいます。これもそもそもはヤギが食べていたのを見たから試してみたという「後天的経験則」によるものだといいます。また多くの薬物も苦味を持っていますが、これを摂取するのも経験によるものと言えます。
同様に、酸っぱいものも人を不快にさせます。食べ物が腐敗すると生じるのが酸味であることが本能的にインプットされているからです。逆に甘いものは一般に乳幼児から高齢者に至るまで好まれます。これは甘いものは人間が最終的にブドウ糖まで分解してエネルギー源(特に脳)に出来ることを感覚的に身につけているからです。
では先天的と後天的(経験則)感覚を使い分けることが出来るのは人間だけでしょうか?
ここで今度はキノコで有名な単細胞生物、粘菌に登場してもらいます。ある迷路を作成し、そこに粘菌と大好物の餌を置きます。よく本能的行動ばかりすることの例えで「単細胞」という言葉が使われますが、まさに生物学的に単細胞である粘菌はどう行動するのでしょう。
なんと何回かの試行錯誤ののちは、最短コースで餌にたどり着くようになるのです。
人間でいうところの頭はなくても、環境に順応することが出来る。決してDNAに刻み込まれた一定の行動を採り続ける訳ではないのです。更に同種の粘菌を異なる場所で生育すると、餌に対する取捨選択にも違いが出ることがわかっています。
環境順応性とは、感覚を順応させることであるといえます。それは単細胞動物であっても備えている生体的機能なのです。
人間の赤ちゃんが苦味を嫌うのは本能的理由であって、それは毒を見分けるために先天的に身につけている感覚ー。しかしその苦味もまたある程度の閾値までであれば、育った環境、経験によって、むしろ好むまでに感覚が変化するー。
人間ももちろん感覚を環境に順応させることが出来ます。化学的受容を快しとするか不快とするかを経験則的に、後天的に変化させることが出来るのです。
アルコールもまた人間が本来好む物質ではありません。ある環境にいる人はアルコールを摂取して快い経験を経ることでそれを好むようになり、またある人は不快な経験を経て忌み嫌うようにもなります。
#ウイスキードリンカー