【1】 シングルモルトマニアックス
|
プロローグ
「そういうお酒は飲んじゃいけない。開けちゃいけないんですよ。」
平成22年7月10日、東北の片田舎で「*ボウモアのブーケット」を開けようという私に、そう忠告してくれた人がいました。
まあでも、こんな場所までやって来てもらうからにはそれなりのボトルを出したいんですよね~、と答えてはみたものの、
これが自分ではなくて「他の誰か」が開けるというなら、私はこう言ったでしょう。
「おいおいおいおい、また1本貴重なボトルがなくなっちゃうじゃんかよ!」
そう、間違いなく言ったはずです。
A
WHISKY
DRINKERカテゴリも10回目ということで、
今回から何回になるか、シングルモルトウイスキー好きの中でも、(先に認めておきますが)特にエクストリームだ、マニアックだ、行き過ぎだ、と言われて仕方がない私のような人間が、
改めてその「魅力」と実践から得た「ノウハウ」を、取り留めもなく、けれどウイスキーに興味を持ち始めた方々にも出来るだけ理解して頂けるように解説を加えながら、書いてみようと思っております。
*ボウモアのブーケット:
シングルモルトウイスキーは、その製造元の蒸溜所自らが瓶に詰めて売る「オフィシャルボトル」と、
蒸溜所または誰からか譲ってもらった樽を瓶詰めして売ることを商売としている「ボトラー(瓶詰業者)によるボトル」という2大提供形態がありますが、
更にそのボトラーの中でも1980年代に栄華を極めた「サマローリ」が世に送り出したシリーズに「ブーケット(花束)」があり、国内外において非常にその評価が高いものです。
今回の場合「サマローリがブーケットシリーズでリリースした1966年蒸溜のボウモア」の意。
シングルモルトウイスキーを飲むというのは、バランタインやシーバスなんかで有名な「ブレンデッドウイスキー」の材料になる酒を、ブレンドしないで飲むということで、
喫茶店でブレンドコーヒーを頼むかキリマンジャロを頼むかというのに近いイメージです。
もう少し正確に言うと、「A農園で作ったキリマンジャロを飲む」というほうが合っているかも知れません。
それじゃ、自称マニアックなお前は何にこだわってるんだ?と申しますと
平成22年(2010年)の現在、1950年代や1960年代に作られた(蒸留された)ものから、最近作られたものまで、さらに発売されたのも古いものから新しいものまで、
シングルモルトでもブレンドでも、スコッチウイスキーと分類されるモノなら、蒸溜所にかかわらず、ブランドや銘柄に関わらず、何でも飲んでみたいと。
こだわってというよりは、一般には入手しづらいものでも、(苦労を厭わず)追いかけていって、飲みたい、買いたいと日頃から駄々をこねているわけです。
まあ何といいますか、美味しいと思われるものをある程度見極めて向かいますから、矢鱈目鱈放銃しているわけではありません。
ここで最初のエピソードに戻りますが、そもそもなんでこういう会話が成り立つのかと言う事自体に、
一度ハマると抜け出せない、エンドレスな「樽追い」、「ボトル追い」ストーリーの根幹があるのです。
私にも分かります。
「そういうお酒は飲んじゃいけない。開けちゃいけないんですよ。」
この言葉に隠された2つの意味が。
一つは歴史的にも貴重といえるお酒を、誰が飲むのかも知れないのに、将来に渡ってそのチャンスを奪うのはよくない、という意味。
もう一つは、酒の魅力には「なんらかの幻想、憧れ」に似たものがあるんだという意味でしょう。それを今から暴いてしまったんでは、この先楽しみもないじゃないかと。
日本人がスコッチウイスキーにハマってるなんて、「なに見栄張っとるんじゃ?」
そんな気持ちが芽生えても不自然ではないわけですが、案外日本とスコッチウイスキーというのは縁の深い歴史があったりして、
今や日本の方が、スコットランドの伝統に沿ったウイスキー造りをしているというぐらいな域に達していたりします。
それじゃあ日本製の飲んでろと言われると、全くもってそのとおりな訳であります。。。
ただ、単純に見栄で飲んでるのかというと、最初は結構オシャレなイメージがしないではなかったですが、もはやそういうファッション性とは縁遠いところで日々ウイスキーと向きあっていますし、それだけではここまで出来ないかなという気がします。
それでまた、なんで稀少なボトルを開けるのか? 飲みたがるのか? という話になりますと、ちょっとこれには説明が必要で、この連載の最後までついてまわる問題になってしまいそうです。
(続く)
#ウイスキードリンカー