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カフェ式連続蒸溜機。



昭和37(1962)年
朝日麦酒社長の山本為三郎(以下、敬称略)は、竹鶴政孝に連続式蒸溜機の導入を提案する。

山本さんは非常に丹念に日記を書いておられた。ある意味では(関西)財界の舞台まわしをされていたほどの人である。興味深い内容だと思う。その日記を私はこの目で見たことがある。
ある日のこと、仕事の打合せをやろうと、私は呼ばれた。たずねると山本社長は、
「カフェ式グレーン・スピリッツに着手する時期ではないか」と話し出した。
そして40年前の日記を示すのだった。
その日記には、イギリスでのカフェ式グレーン・スピリッツ(蒸溜工場)の作業見聞記、その性能、さらに、スコッチは原酒プラスこのカフェ式グレーン・スピリッツでなければならぬ等々、まるで学生のノートのようにキチンと整理して書かれてあった。さすがの私もこれには驚いた。

英国製の日記には、1922年と年号が刻まれていた。日本では大正11年。竹鶴がスコットランドのジェームス・カルダー社ボネーズ工場で、苦心の末に連続式蒸溜機操作法を学びとったのは、その3年前のことだ。

さらに、私に対するつぎの一言で、感じ入ってしまった。
「カフェ式グレーン・スピリットをやるには、莫大な資本がいる。しかし今日の消費者の舌は進歩してきて、いいものはいいものとして鑑別できるようになった。余市でポットスチルは完成しているが、カフェ式グレーンをまぜないと本格的な香りが出ない。これをやらなければ、スコッチに負けてしまうよ。金は出すから・・・」
私は金に縁がうすいので、私は一生涯、私の手では完成できないものとあきらめていた。それだけに山本さんのこの一言はほんとうにありがたい言葉であった。

スコットランドでブレアーという会社がカフェ式蒸溜機を造っているはずだ。
竹鶴は、昔、留学時代に使っていた古い手帳を取り出した。手帳には蒸溜機製造会社がアルファベット順に書き込まれていた。
翌38(1963)年、ブレアー社製カフェ式連続蒸溜機の購入が決った。



竹鶴威(現相談役)は書く。
カフェ式蒸溜機は政孝親父と私が一緒にスコットランドまで行って、グラスゴーの機械メーカー、ブレアーズ社で購入したものだった。
型は伝統的な四角型と丸型があったが、先方は政孝親父の気性を心得ていて「(竹鶴さんは)四角いほうを選ぶでしょう」と言い、こちらも最初からそのつもりだったので、四角いタイプのものを選んで西宮に設置したのである。



昭和39(1964)年
カフェ式連続蒸溜機、西宮工場に設置。グレーンウイスキーの蒸溜開始。

昭和40(1965)年
グレーンウイスキーを混合した「新ブラックニッカ」発売。

平成11(1999)年
カフェ式連続蒸溜機、宮城峡蒸溜所へ移設。

ニッカでは原料にモルトだけを使い、カフェ式連続蒸溜機で蒸溜した「カフェモルト」という世界で唯一のウイスキーを作っている。

  字は、竹鶴政孝著「ヒゲと勲章」より。
  字は、「ヒゲのウヰスキー誕生す」より。

     余市蒸溜所(1)。
     余市蒸溜所(2)。
     カフェ式連続蒸溜機。

#ニッカウヰスキー

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