以下は私の個人的な好みを述べるだけなので、私の洋酒に対する思いに賛同していただけない方には『ふ~ん・・・』で流していただきたい。
今回は昨今の洋酒事情に私が感じていることを述べたい。
先の“酒屋叙情篇”でも述べたが、気になる酒屋を見るとつい入って洋酒の品揃えを見たくなる。 最近では通りがかった酒屋には必ず入って古い洋酒を探すようになってしまった。
新しい酒はいくらでもあるのに、何で古い酒を求めるのかというと・・・
昔の酒は味わい深く、そのボトルの姿が美しいと思うからである。
近代的な設備で作ったウイスキーと昔ながらの設備で作ったウイスキー。
何でこんなに味やボトルの形が変わってしまったのか!?と思うものさえある。
ブレンダーの能力・技術というものは我々の想像を絶する力がある。
しかし全く同じ銘柄の古いウイスキーと新しいウイスキーを飲み比べると明らかに味の違うものがある。それはウイスキーに限ったことではなくブランデーやその他のスピリッツ、リキュールにも感じられることである。これは意図的であるのか、それとも時代の流れでやむなくこの味になってしまったのだろうか?
何でもそうだが、全く同じ物を造っても、人の手というものが多く関わっている物には味わい深いものがある。
ウイスキーを例にあげれば材料である麦が蒸留され、樽に詰められて熟成し、琥珀色の液体になるまでの過程は、昔の方がはるかに人の手が関わっていたことであろう。
勿論、創業以来一貫して同じスタイルでウイスキーを造り続けている蒸留所も沢山ある。 しかし、昔のものとは何かが違うような気がするのである。 ウイスキーが造られ始めた頃と今現在では地球環境でさえ大きく異なっている。大気汚染、酸性雨、異常気象・・・ウイスキーを取り巻く環境の変化はその風味に与える影響も大きいのではないだろうか。
でも、それは単なる私の勘違いであれば何も問題はなく、美味しいウイスキーが飲み続けられるのであれば、それはそれで幸福なのである。
環境の変化、時代の流れ、飲む側のニーズに対応しながら酒も変化をしているのだろうか?・・・否定する気は毛頭ない。
しかし、それを受け入れながらも日本酒や焼酎ばかりならぶ酒屋の棚の隅っこで、ボトルの肩に埃を積もらせながらも、古きよき時代を彷彿とさせるボトルに私は心惹かれる。
20年、30年と買われるのを待ちつづけて私と出会ったのであれば、運命を感じ、買わずにいられなくなるのだ。(大袈裟ですが)
知らない町の知らない酒屋で運命の酒に出会えるように祈り、胸躍らせながら今日も私は絶滅危惧酒保護活動に励んでいます。
#酒